03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

スポンサーサイト

--/--/--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- スポンサー広告

デッドポイント

2015/10/01
マラソンなど長距離走をしていて、一番苦しくなるところ。
デッドポイント。

今、それが来ているのかもしれない、と思う。
ただ、私が走っているレースは回復期というレースだ。
だけど、回復期の山(人によったら「谷」になるのかも?)は久々だから、辛い。

自分が未熟なだけなのに、それを直視したくなくて、人が悪く見えて人のせいにしたくなる。
人の行動が歪んで見え始めてしまう。

こんなことを3年前も感じていたっけ。


去年から120%(?)フル稼働している私を見て、先日夫がついにストップをかけた。
「それ以上はやめときな。」

いつも夫が言うのは「やめてもいいよ」なのに、
今回は違った。
やめることを勧めてきた。
初めてのことだった。

でも、苦しいのは走るのをやめてからなのかもしれない。
走っているときは苦しい中にも走っている充実感があった。
走るのをやめた今は、罪悪感と悔しさ。
それが苦しさに拍車をかけている。

昔の私ならば、すぐ苦しみから逃げようとしただろう。
だけど、それで何になる?
任を下りても、任を下りたことの非難は受け止められないくせに。
逃げる私を娘たちが見ている。
どんな私も娘たちは見ている。

私は、逃げない。
逃げずに、少し体を休めたらまた戻ってやる。

デッドポイントを超えて、ランナーズハイの世界を見たいんだ。


14:21 病気 | コメント(0)

病を越えて

2015/09/16
どうも、ご無沙汰しています。
どうにか生息しています。

北の大地はもう秋。
空は高く、空気は冷たくなって来ています。

私はというと、変わらず農家をしています。
3月からほとんど休むことなく、農繁期をただ駆け抜けるのみ。

そんな日々の中で、人に助けられながら、時には人に倦みながら、
自分に与えられた役割を果たしています(多分…)。

以前のような「生きるか死ぬか」じゃなくて、
生きていることが前提の生活を送れているのをたまに忘れそうになりますが、
有り難いことですね。
たまに思い出して、忘れてはいけないなと思います。
本当に、どんなことでも勉強になると思います。

私はどんな大人になりたいだろう?
よく考えます。

子供たちに胸を張って「お母さん、頑張っているのよ」と言えるような生き方がしたい。
「私が嫌いな私」に時折支配されそうになるけれど、それでもやっぱり少しでも「私が好きな私」になりたい。
でも、そのためには「私のための私」をやめないと、なれない。
もちろん、自分のために頑張るのはすごく大切だけれどね。
いつでも「私」が中心にいてしまうと、そんな自分に疲れてしまうから、難しいところだと思います。

晴れた秋の朝。
自分の有り方を見つめ直した朝でありました。
06:29 病気 | コメント(2)

一度死にかけた私が出来ること

2015/04/25
それを探してもう5年ほどになります。
色々あったけれど、もちろん今も苦しい時はあるけれど、
それでもやっぱり生きていて良かったと思っています。

一度は死にかけた、いえ、たぶん死んだ私。
でも、今は生きている私。

私が出来ることをずっと探しています。
だけど、未だ見えず。

昔あったことが、今の私の一部を作っています。
それから、私が怒りを感じるところはこういうところだと最近わかるようになってきました。
随分時間がかかったなぁ。

私は未だ女性であることに多少の嫌悪感を感じつつ、
けれど、それを受け入れるために、色々試行錯誤しています。

女で良かったことは、子供を産めたこと、夫と結婚できたこと、私が私であったこと。
しかし、それと表裏一体で女で苦しかったことは存在しています。

私は、女だから、と押し付けられるのが嫌いです。
自分から進んでやるのはいいんです。
でも、周りからこうあるべきだと言われるのは、すごく腹が立つ。
女であるのが嫌だから、男の人がするようなことを目標とし、超えられるよう努力してきたけれど、
それは肉体的にも能力的にも不可能だったし、結果としては男の人を服従させたいだけなんだと思い、やめました。
まあ、基本的に男勝りな性格ではありますけどね(笑)

自分を受け入れるってそういうことじゃない。
出来ないことが出来るようになるだけが、自分を認めることじゃない。
出来ないことも認め、それを楽しむ?余裕みたいなのがないと、
まだ見えないのかなと思います。

人生の醍醐味って感じですね。
きっと、私だから、その人がその人だから出来ることがあると思うのですよ。
出来ないことも能力じゃないかってね。

まだまだ私はその域に至っていないけれど、ゆっくり進んで大人になりたいです。
11:52 未分類 | コメント(0)

お久しぶりです。

2015/02/17
北国はまだまだ雪。
でも、日差しはもうすぐ春。太陽からの光が少し暖かくなってきました。
農閑期はあっという間に終わり、また新しく作物を始める季節になります。
正直、まだ少し休んでいたいです(笑)

諸事情があって、身体の調子はちょっとガタガタです。
ちょっとナイーブになったり、お腹を壊したり。
まあ、そのくらいのことなら慣れっこですが、フットワークが重いのが一番辛いところです。
出不精になるんですよね。
理由を付けて出たくなくなる。
出かけたらそれなりに楽しく過ごせるのだけれど。


最近夫婦で話すこと。

それは「現実」。
私が見ているのは現実とは限りません。
多分夫のそれとは違うのでしょう。
病気だということに限らず、きっと捉え方が一人ひとり違うから、
見えているものが違うはず。

でも、人が(特に大人が)口にする「現実は甘くない。現実を見なよ。」という言葉。
それには私、甚だ疑問を感じます。
「甘くない現実」を見ている人が見ている世界が全てではないと思うのです。
そういう人こそ現実見えてないのかもって思うこともしばしば。
だって、優しい人ってどっかにいるし、ラッキーなことってありますよね。
でも、それに気付かない、気付きたくない自分がいるだけ。
それが本当の現実、なのかしら??
本当に、現実って何なの?って思います。

何だかややこしい話になってきましたね。
結局、自分が見てるものが全てだとは思わないでいるということが大切だと思います。
私が見ている世界も何かに囚われていて見える世界なんだろうな。
他の可能性を切り捨てないでいる、それが私が目指す方向です。

昔は自己暗示にかかっていました。
「私は幸せだ」という自己暗示。
それは一部本当であり、一部は嘘でした。
でも、幸せだと思わないと生きていけなかった。
今はその必要はありません。
今はどうだろう?
幸せだと思う気持ちは、やっぱりこれから先生きていく上で必要な活力を生みます。
その違いは想いの方向性が違うということなのかな。
何でもそうだけど、使い方を間違えると不幸な事故を呼んだりします。
私は自分の想いの方向だけはこのまま行きたいと思います。
細かいことはどうでもいいや。


あー、何だか久しぶりに考えたことを文字にしたら、頭が混乱しました(笑)
実は考えることって得意じゃないんです、私。
賢そうなことを言ってみたりした時期もあったけれど、
私、かなり、おっぺけぺーです。
若かりし頃、理性だけやたら発達してしまったけれどね。
頭でっかちでした。

さぁさ、今日も仕事をしましょうか!
どんな可能性も切り捨てず、幅を持ちたい。生涯そうありたい。
そう思って仕事に向かう私です。


これを読んで下さっている方、そうじゃない方、
なるべくたくさんの人に光が射しますように…。
11:00 日常 | コメント(2)

秋が近づき

2014/10/13
今シーズンの仕事もそろそろ終わりが見えてきました。
北国はもう紅葉を迎えています。
ここは川の沖積地だから、また気温差があって紅葉が早いです。

夏はものすごい繁忙期。
昼休みもなく、朝からずーーっと収穫。
時に途方に暮れながら、それでも必死にやってきました。

それで、今になって少し余裕が出て疲れが出てきたのか、私の病気も少し谷を下っていました。
夕方くらいになると、エネルギー切れを起こして頭がプスプス…。
それが続くと朝からプスプス……。
やっと昨日はそれが落ち着いて来ました。

上手に出来たかどうかはわかりません。
でも、子供が小さい中で必死にやってきました。
それを途中でやめることは自分でも許せなくて、少しお薬の力を借りています。

ちなみに、DIDのほうですが、すごく安定しています。
まだいるっぽいのはわかりますが。
もう別人である必要がない。
不安定さを求めることもない。
安心は、ここにある。
私も娘たちや誰かに安心をあげられたら。。。。。

人はもらったことないものは、誰かにあげることはできません。
私はやっと人愛情や安心をあげることができるのかな。

誰かに信じられている、誰かを信じている。
病気の最中は忘れがちですが、これって大事です。

ねえ、そろそろ言っても許されるでしょうか?
私、私で良かったです。




07:50 病気 | コメント(1)

目が覚めて

2014/07/19
久しぶりの悪夢を見ていた。
だけど、夢から覚めても、昔の悪夢は悪夢のままで…。


もう何年も前のことだ。
19の時だから、かれこれ10年以上経つ。
私は自分で乗り越えられたと思っていた。
だけど、何一つ乗り越えていなかった。

もちろん、当時の事件のことはある程度乗り越えている。
だけど、その後の自分の有り様、それは受け入れ難いものがあるのだ。

私は精神的にパランスを崩し、崩壊への一途をたどっていた。
もう何者の声も届かなかった。
唯一届いたかもしれない祖母も私が崩壊中の間に他界した。
当時付き合っていた彼と別れると、崩壊の速度は加速した。

自分に価値があるなんて、まったく思えなかった。
何がどうなってもよかった。
両親はただ私の扱いに困っているだけだったし、
周囲の人たちは、私から離れて行った。
純粋に私といてくれた人は、ごく一握りだった。

純粋じゃない人、それはやはり私を「女」として見ていた人だったんだと思う。
反対に女じゃないと誰もいてくれないんだと思っていたのかもしれない。
だからなんだろう。
私は自らの傷をどんどん深めるようなことばかり繰り返した。

思えば、私はあの事件のことで当時以外は泣いたことがなかった。
誰に言う時でも、冷静だった。
今になって涙が流れ、また発狂しそうになる。
また、今更なのに。

私が女である限り、生きている限り、きっと悪夢は続く。
心なしか少しずつ色褪せながら。

だけど、今日も私は生きる。
受け入れられないものを抱えて。
あのころにはない、守るべきものを抱えて。
06:13 過去 | コメント(0)

未だリハビリ中

2014/05/21
精神的にというのももちろん、肉体的に疲れてくると、頭がまとまらなくなってくる。
次にあれをしてから、これをしよう、とか
組み立てが上手くいかなくなる。
だから、朝の支度に手間取ったり、料理がうまく捗らなかったり。
うまくいかないからイライラして、段々いろいろと聞こえ始める。
そうすると、怒りのコントロールが出来なくなって、爆発する。

全く、どうなってるんだ、私の頭は。
怒りから覚めると毎回そう思う。

心地いい疲れの時は少しハイテンションになる。
それより疲れてくると、頭が静けさを求めるようになる。
テレビが世界一憎むべきアイテムになってしまう。
自然にクールダウンしようとするのだろうか。

最近、自分の限界を感じることが多くて、その度に症状に困らされる。
まだやりたいのに症状が邪魔をしている、と感じるのだ。
病気であることを言い訳に使うのは、いやだと思うことが多くなった。
周囲の人が「病気なんだから」と言うのは、大丈夫だと思う。
でも、私自身が「病気だからできないの」と言うのは、何だか自ら敗北を認めているようだし、
回復している私としては少し傲慢とも思えてしまったり……。
あくまで、自分に対してのみだけれど。
世の中は一方通行がよしとされることは、案外多いものだ。
そういえば、助けてもらったほうが「困ったときはお互い様だよね」というのは間違っている、というのを聞いた覚えがある。
当然だと思わず、感謝する気持ちだけは失いたくない、と思う。


そろそろ薬の力を借りたいなと思う時がある。
でも、実は薬に劇的な変化をもたらされたことはあまりない。
キツくて眠っているか、何だかちょっと違うなぁ、くらいだったり。
解熱鎮痛剤みたいに、飲んだら痛いのが消えた!なんてことはない。
なのに、なぜ薬の力に頼りたくなるんだろう。
苦しい時には藁をもつかむ、そんな気持ちなんだろうか。

今日もこの世界にはたくさんの人が藁をも掴む気持ちでいるんだろう。
最近までそんなことすら考えなかった。
人の痛みには厳しかった私。
だけど、最近やっと人の痛みに少しおおらかになれそうだ。
まず自分の痛みにおおらかになってやっとわかった。
夫が言った。
「もっと自分は苦労したんだ、とっても頑張ったんだっていうことを思ってもいいと思うよ」と。
それを受け止め、認められる用ようになって思う。
その通りだな、と。

傷つき、痛みを耐えている人たちのことを、私は静かに祈ろう。
大丈夫なんて言えないけれど、言葉にできない温かい気持ちを胸に、
その人たちのことを思うんだ。

いつか傷が癒えますように。
17:15 病気 | コメント(0)
« Prev | HOME | Next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。