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回想

2011/12/08
喘息は落ち着きつつある。
少しの喘鳴と痰。
それに息苦しさ。
しかし、レントゲンや血中酸素濃度は問題なかったから、息苦しさは精神的なものだと診断された。
まあ、わかっていたけれど(苦笑)

結局、私は同窓会に行くことにした。
高速バスの予約を取り、ホテルの予約もした。

前に大きな同窓会をしたのは二十歳の時だった。
成人式の前日。

今いくら思い出しても、同級生の名前は半分以上出てこない。
幹事の名前を見ても、「ああ、そういえばいたっけ」くらいだったのだから、
なんとひどい同級生だろう。
卒業アルバムも手元にないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。


最近考えていることがある。

昔、私はわりと優秀な成績だった。
それは将来の見通しを立てた上でそういう道を選んでいた。
周りにもそういう人ばかりだった。
いい大学へ行って、いいところへ就職し、将来はいい旦那さんを見つけて働く。
そう信じて疑わなかった。

だけど、病気を経た今では果たして本当にそれが正しかったのだろうかと思うわけである。
例えいい大学を出ても、私はいつしか病気になったと思う。
病気にならずに、今の生活を送っていたとしても、
だから結局何が変わるのかわからないのである。
確かに自分で誇りの持てる仕事をしているかもしれない。
けれども、人間としての価値は変わらないのは事実ではないだろうか。
子育てしている専業主婦と働きながら子育てしている人、
どちらが偉いなんてあるわけがない。

そうすると、私が今まで選んできた道はなんだったんだろうと思うわけである。
少なくとも、高校時代はそれなりに受験勉強をしたし、それによって私生活はかなり制限があった。
その努力も、この歳になると無意味に思える時があるのである。

主人と一緒に色々な人に会うようになった。
エリート大学を卒業してホテルの支配人にまでなったけれど、リタイアして自営業を営んでいる人。
学生をやめてから、学問の面白さに気付き、熱心に勉強を重ねる人。
一途に器を作り続ける人。

主人と一緒に知り合った人は所謂「ちょっと変わった人」が多いのかもしれない。
私の周りにはそういう「人種」はいなかった。
勿論、「○○している人が偉い」だなんて絶対的な考えはなかったけれど、
「自分は決してならない」と思っていたからなのかもしれない。
要は、多様性は認めるけれど、他人事だと捉えていたからなんだろうと思う。

特に女性は思うのかもしれない。
結婚して主婦になると、今までしてきたことはなんだったんだろうと空虚に思うことすらあるだろう。
(私は病気のせいで、そう思う余裕すらなかった・苦笑)

けれど、きっとそれも無駄ではなかったんだろうと思う。
学生時代重ねた努力も、それから積み上げた努力も。
理屈ではない。
子供が生まれたら優秀な子になるだろうからとか、因果応報とか(笑)そんな理屈じゃない。
ただ、私はそう感じるからだ。
不思議、と忘れたままの数年間のこともそう思えるからだ。

いいも悪いもきっとない。
いい・悪いは人が定めたもので、それによって真に優劣が決まることはない。
(進化論なんかではどうなのか知らないけれど。)

人が様々な努力をするのは、自分の人生に意味を持たせようとするからなんだと思う。
勿論、それがいい意味になれば嬉しいことこの上ない。
ただ、それだけ。
単なる自己満足だったりする。
人に称賛されようと、人に批判されようと、それもまた人によるもので。

ただ、私は思う。
どんな私でもいいじゃないか、と。
私と私の大事なものさえ良いと感じるならば、いいじゃないか、と。
人は心も成熟し(し始め)た時にそう思うという。
それが分かり始めた最近の私はなかなかいい感じではないだろうか(笑)
少々うぬぼれているかもしれないが、これは歳を重ねる魅力だろう。
昔の自分にはなかった考えではないか。

このまま自分を好きになれればいいなと思う。
それと同時に、いつまでも自分の人生の意味を問い続けるだろう。
私にとってのいい人生の意味を。





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16:37 戯言 | コメント(0)
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