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「逃げ出したい」と「消えたい」と違い

2012/02/27
って、あると思いますか?
私は最近専ら前者の方です。
昔は圧倒的に後者が多かったです。

昔求めていたのは、状況改善でもなく永遠の安息でした。
それを死とも呼ぶのかもしれませんが(苦笑)
その時の自分の全否定をしている形です。

今求めているものは、単なる一時的な逃避です。
馴染みかけてきた自分の一部を否定したくて、逃げたくなるという形、なのかな…。

今は昔と違って、自分だけの問題じゃないことがたくさんあります。
自分が護るべき家族がいますからね。
でも、昔は護られる側であって、基本は自分の問題ばかりでした。
(人が持ち込む問題もありましたけどね。)
だから、余裕のなさからたまにその責任から逃れたくなります。
景色が溶けていく中で子供の面倒を見たり、家事をするのは、非常に辛い時があるものです。
例え自分が望んだこととは言えど…。


皆さんは責任って苦しいものですか?

私の夫はうれしいものだとも言います。
それは大人である証であったり、自分を信頼してくれているっていうことの証明だと感じるからだそう。
私からしたら目から鱗な考え方でした。
責任感が強いというのは肯定的な捉え方をされるけど、それゆえに責任は重くて苦しいものだと思っていましたから。

夫は続けました。
「だから無責任になることも必要なんだよー。無責任って悪い事じゃないし。」
ってニコニコしながら。
私は「えー…」と口をあんぐり。
無責任な状態ってどんななんでしょうね。
私には想像できません。

もし、想像できたら、「逃げ出したい」も「消えたい」も思うことがなくなるのかな。
そうすると、責任は嬉しいものでもあり、無責任もバランスをとる上で必要なことになるのかなって思います。
自分の思い込みを知り、それをゆっくり剥がしていく作業、それが大切な気がします。

毎日の生活はやっぱりしんどい。
たまに雪の下でひっそり隠れていたくなるし、太陽にだって会いたくない日もあります。
だけど、その気持ちの根本を、どうにか変えていけるといいなと思う毎日です。






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09:11 戯言 | コメント(0)

転院

2012/02/25
諸事情があって、そろそろ引越しをする。
そのために転院先を探して行ってきた。

今度の病院はちょっと暗め。
わざとライトダウンしてあるしてあるのかな?
今の病院がすごく明るいせいかもしれない。
そう言えば昔の病院、どこも暗かったなぁ。

けれど、看護師さんも受付の方も優しい対応だった。
先生はというと、すごく丁寧に診察してくださった。
家族構成に子供のころの様子、症状の細かいところまで。

結局未だにハッキリした診断名が付きかねているらしく、
診断書の名前は割と適当なものらしい。
主訴で解離と鬱と幻聴で複合的に罹患しているようなら、
一番主な症状で名前を付けているらしい。
つまり、症状の配合具合(とでも言おうか)で診断名が付いているらしい。
新しい先生は幻聴の症状を詳しく聞いていた。
もしかしたら診断名が変わるのかもしれない。

ただ、あまりにも昔のことを覚えていない私には、
昔から遡って自分のことを説明するのは厳しすぎたらしい。
翌日ひどく錯乱して、強い薬を飲んだら断続的にずっと眠っていた。
さらにその翌日も、気を抜いたら幻覚症状が現れた。
これが一時的に大きな痛みになろうと、良くなればいいのだけど。。。

こんな不安を吹き飛ばしたくて、私はランニングマシーンで走った。
ただ、祈るように走った。
苦しくても、走るのを止めなかった。
走ると頭が空っぽになる。
少し前にセカンドオピニオンを求めた先生が言った「無我夢中で走りなさい」という言葉が
正しかったんだとわかる。
正気を保つために、狂気があるんだと思う。
それは健康な人にもあるはずで、どうやって発散させるかが問題になるんだと思った。
お酒か、甘いものを食べるか、カラオケか、運動か、色々あるけれど、
私は自分の特性をせっかく知っているのだから、人に迷惑をかけない方法を選びたい。
黙々と走るだけなら迷惑じゃないよね…。

自分の逃げ道を残しておきたい。
それがいずれは活路になり、自分が生きる上での喜びになるだろうから。




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10:10 病気 | コメント(2)

勝手な病気考察あれこれ

2012/02/21
私はDIDです。
それに伴ってうつ病だったり、パニック障害だったり色んなものを併発しました。
最近は喘息というオマケまで(苦笑)

DID…というより解離性障害に関しては結構昔から発症してたらしいです。
うつ病が発症したのは今から11年前。
それから摂食障害にもなったし、診断名がつきにくいものでした。
入院は4回。
一度目は解離性障害だったかな。(診断書にも既存の病気に境界性人格障害と書いてありました。)
二度目からはうつ病。(この辺からは病院に解離のことは言わなくなりました。)
三度目には摂食障害もあったっけ。
入院中たくさんの人々に会いましたが、何となく病気によって人の傾向があるような気がしています。

統合失調症の人は男性が多かったです。
女性ならば思春期くらいの若い世代。
うつ病ならば女性が多かったです。
DIDもだいたい女性でしょうか。

これはきちんと統計を取ったわけではないので、何とも言えませんが、
人の本能としてある攻撃性が関係しているのかなぁと思っています。(勝手に私がです。)

男性は未だに狩猟本能が残っているといいますね。それの名残なのかな。
統合失調症の人は、陽性症状のせいか興奮や焦りが強い場合が多かったです。
陰性症状の場合は鬱っぽくなるらしいのですが、陰性症状の強い人は若い女の子が多かったです。
あまり成人女性で発病したという人を見たことがありません。

ちなみに女性はホルモンのバランスもあり、鬱状態に陥りやすいみたいです。
反対に男性でうつ病になる場合は、過労など極限まで追い込まれている場合が多いので、
非常に重症になりやすい気がします。
きっと葛藤が大きいんだろうなぁ。

DIDは基本的に幼少期に発病するものです。(稀に思春期以降でもなるらしいですが)
性差はというと、微妙ですが女性が多い…かな?
男性でDIDというと大体は攻撃性の強くなる思春期以前に発症している場合が多い気がします。

実は同じストレスを受けても、性別や年齢によって発症する病気は違うのかも?
という私の勝手な憶測です。
というわけで、一切責任は負えません。ごめんなさい^^;

だけど、どんな状況においても、回復という光が見えてほしいものです。
私もやっとここまで来れたけれど、あと一息という時が辛い。

だけど、何の病気だろうと、私は私で良かったと言えるようになりたいものです。





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16:19 戯言 | コメント(0)

私も凹みます

2012/02/20
こうして説教臭い記事を調子のいい時UP出来ていても、やはり調子の悪い時は訪れ…
半ばやけくそまじりに更新しています。
すみません。
たまに普段の私の様子も書いてみたくなりました。

一応私が通っている病院、作業療法も受けられます。
ごくたまにしか参加しませんが。
今日も行こうかなとか思ったのですが、何せここは北の大地。
道路状況の悪さに一瞬で断念しました。

私が通院している病院は、比較的軽度の人が多い気がします。
ちなみに開放病棟です。うん、超開放的。
どういった病状で入院されている方が多いのかはわかりませんが、
コミュニケーションは普通に取れる人が多いです。
昔の私ならば、問答無用で重症な方でしょう。
外来の人も一見普通の人がほとんど。
たまに発作を起こして病院に駆け込むと、私が明らかに異常だという(苦笑)
錯乱状態ですからね。

長く病気をやっていると、何が普通なのか考えすぎてよくわからなくなります。
私が回復したからなのか、それとも私の感じ方が変わっただけなのか…。

今でも予定通りに動けないことはしばしばあります。
朝からないエネルギー振り絞ってやっていると、夕方くらいから動けなくなったり。
ぷすんぷすんです。

最近気になるのは、薬の切れ目がはっきりしていること。
あ、切れたなってすぐわかるんです。
切れると途端に何でもないことでイライラするので、結構困りものです。
これって依存しているんでしょうか。
ちなみにベンゾ系です。
あ、やっぱり黒か(苦笑)

ちなみに一応メジャートランキライザーは処方されていますが、
滅多に飲みません(!)
どうしても困ったときだけ液剤のを飲みます。
軽い時はエビリファイ。重い時はリスペリドン。
夜まで我慢できたら、コントミン錠剤。(これはハッキリ言って寝るだけの薬かも。)

薬に関しては、もう自分のペースが分かっているので、
医師も自分で増減していいと言ってくれています。
薬はあまり使いたくないのは当然ですが、薬を飲まずに周りの皆に心配かけるよりも、
薬を飲んでも普段に近い生活をできる方がいいと思って飲んでいます。
やっぱりそれでも凹みますけどね…。

落ち込むと、外へ出たくなくなります。
ご飯も、着替えも、何もかも億劫。
外の世界と接触を断ちたくなります。
誰とも口を聞きたくなくなります。
ずっと布団で眠っていたいと思います。
貝のように口を閉ざしたまま、海の底で眠っていたいと思います。


それでも。
それでも、私はゆっくり待ちます。
いつか苦しみは終わるのを知ってますからね。
だから、どうか諦めそうになっても、何もできない・しない自分を褒めてあげてください。
何もできない・しないのは、諦めていない証拠ですからね。
大丈夫。




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09:27 病気 | コメント(0)

親になってできること

2012/02/14
子供の時、親というのは大きな存在で、絶大な力を持ちます。
親というものがなければ、自分なんて存在しないも同じ。
だから親との関係のあり方次第で子供は大きく変わります。

子供が成長してもずっと親の力が絶大だと、子供は何をやるのにも自信がなかったり、
すでに何かをやることを放棄していたり。

私も自分が親になるまでは「何で私の親は○○してくれなかったんだろう」とか不満ばかりでした。
自分が自信ないのを、親のせいにしたり。

だけど、ただ親から「あの時は○○してあげられなかったけど、ごめんね。」と一言いってもらえていたら、
それで結構納得がいったのかもしれないと思います。
大人は忙しいから自分でやるしかないんだ、そんな理由で自分を納得させていた時もありました。

実際自分が大人になってみると、生活だけで忙しいし、本当に毎日がどんどん過ぎていきます。
自分がやりたいこと、子供にしてあげたいこと、やっておかないといけないこと…。
だけど、ここで親の立場から「仕方ないじゃない!」って開き直ってはいけないと思うんです。
子供から「お母さんは忙しいから仕方ないよね」って言われても、親として譲っちゃいけない。
私が子供の時味わったあの思いを、私の子供にまで味わわせてはいけないと思う。
ここで私が開き直ってしまうと、ずっと負の連鎖も続いてしまう。

そんなわけで、本当に忙しくて子供にかまってやれないとき、私は私自身が出来なかったことを認めて、
それをちゃんと謝ろうと思っています。
案外、歳をとると謝るのって難しくなります。
なんというか、色んなもっともらしい理由(忙しいからとか、やるだけやったからとか・笑)を付けて、
自分を正当化したりとかします。
だけど、そこでジタバタせずに自分の非を認めてしまって、その分の荷をおろしてしまおうと思います。
最近その方が楽だって気が付いたんですよ。

もう昔をやり直すことはできないけれど、まだ親になって子供にしてやれることはたくさんありますからね。



私も昔は何も考えられなくて、ひたすら自分が良かれと思っていた道を進んできました。
だけど、その道をリタイアして、這いずりながらでも生きて、
今ようやく本当の意味で自立したのかなと思います。
これまでは、まだ親の力を借りて生きていたんですよ。
遠く離れて別の家庭を持って暮らしていても、親を反面教師にしたり、お手本にしたりしながら…。
もうこれからは誰かを参考にしながら生きることはあっても、真似たり反対のことを意識して生きることは断然少なくなるでしょう。

まだ私の中に少なからず「小さな子たち」はいるけれど、
その子たちも大事にしながら暮らしていけたらいいなと思います。
DIDという病気ではあるけれども、その状況に甘えず、かと言って厳しく責めたりせず、
ゆっくりとこれからも自分が生きる道を模索したいと思います。
やっぱり色々なことを考えて生きられるって素敵です。

最小限の幸せを知ることが最大の幸せ。




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16:13 戯言 | コメント(0)

苦しい時でも笑える

2012/02/04
ここ数日、胃腸炎とインフルエンザでダブルパンチを食らった私ですが、
高熱のせいでしょうか、そんな中で不思議なことを考えていました。

昔のささいなことを思い出しては腹を立てていました。
あの人のこういうところは素敵だけれど、こういうところは直して欲しい、とか。
好きと嫌いの気持ち、極端などちらかしかないから、私はどうしていいのかわからないのです。
いっそ嫌いになってしまえたら楽なのかもしれませんが、そうもさせてくれない。
やきもきするんです。
私としてはハッキリしておきたいところなのに。

でも、それはそれでいいんじゃないかと思いました。
保留でいいと思うのです。
ゆっくりその人を見ればいいと思う。
そうすればまあ、普通は嫌いにはなりませんね(笑)
きっとこれからもいいところが見つかるはずです。

また、どうしても嫌いな人もいます。
でも、それはそうとして存在していてもいいんじゃないかって思いました。
嫌いな人として割り切ることも必要。
相手にどうしても気に入ってもらう必要もない。
必要以上にコンタクトを取る必要もないんです。
好きな人もいれば、嫌いな人もいてそれで世界は成り立っています。

そうするとそれまで不平不満でいっぱいだった私も、急に感謝の気持ちで一杯になりました。
何故なら、私もきっと「私を好きでいてくれている人」によって支えてもらっているからです。
もちろん、「私を嫌いな人」にも。
ただ、私も聖人ではないので、すべての人への感謝ではありませんが。
ただ、嫌いな人もいていいじゃないっていう程度です。
そうじゃないと、嫌いと位置づける必要もありませんからね。

するとすごく楽になりました。
何だかあまりの力の抜け具合に笑っちゃったくらい。
今のままでいいんだーって眠っちゃいました。
きっと熱のせいもあったとは思いますが、自分の中に絶対的なものを見つけられたからですね。


人は善意には感謝します。
けれど、善意の押し売りには感謝しません。
だって、その善意には見返りを要求していますからね。
一方的であることがいいことというのはここ数年よく感じることが多いです。

よく言いますね。
「よく~~してやったんだから~~~」
これは善意の押し売りです。
相手は逃げます。
自分の子供に使えば子供は委縮します。

言葉というのは様々なものを伝えるためにあります。
「愛してる」
「お前が悪い」
「仲良くしましょう」
「これからもよろしく」
「ありがとう」
けれど、相手を縛りつける道具にならないようにしたいですね。
一方的であってこそ、双方向になるのかもしれません。






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17:48 戯言 | コメント(0)
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