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PTSDの治療

2011/12/15
低空飛行を続けていると、必ず一度は大きな波がやって来る。
今回のは、以前を思い出させるひどさだった。
フラッシュバックが止まらず、過去へ引き摺られるのである。
そして、お決まりのごとく、死へと誘うのだ。

どうにか私は今回も耐えたらしい。
本当にいつも主人には助けられてばかりだ。

次の日は通院日だった。
低い調子でカウンセラーと話すのは初めてだった。
今までは傷を隠そうとわざと笑っていたのかもしれない。
だけど、笑う気力なんてその日はなかった。

もう10年以上の前の、私が激しく分裂するキッカケになった事件を話した。
そのことに関しては、確かこのブログでも「過去」のカテゴリで記録しているはずである。
男に媚を売ってへつら笑ってでも、機嫌を取ってでも、何とか家路に辿りついたこと。
その時の惨めな、苦しい、形容しがたい気持ち。
後で、風呂場で声を上げずに泣いたこと。

母に打ち明けたが、「そんなことじゃないだろうかと思った。あんたがどうせ悪いんでしょ。」
と向き合ってくれなかったこと。
周囲の友人に相談しても「隙があったお前が悪い。」と言われたこと。

その後数年間、私は自らを責め続け、反動とも取れる行動ばかり繰り返したこと。
しかも淡々とその事件を振り返り、人の同情を引く行為ばかりしていたこと。
(今思えば、痛いことでしかないのだが…)

カウンセラーは言った。
「ずっと一人だったんですね。」
「ご存知ですか?サードレイプという言葉があるんですよ。」

そう。
そうだ。
私は一人で抱え込むしかなかった。
自らを責める以外選択肢はなかった。
けれど、抱え込めなかった。
だから複数に分かれた。

誰にも抱きしめてなどもらえなかった。
付き合った男性は勿論いたけれど、そういう抱擁などされたことはない。
何故ってそれは、あくまで男女だから。

小さい頃から母は忙しそうで不在がちで、祖父母も畑仕事で忙しかった。
私は一人の世界に籠るしかなかった。
一人絵を描き、人形遊びを繰り返した。
母が私を抱きしめてくれたのは、一体いつだろう…?
手を差し出しては振り払われ、私はずっと孤独だった。

あの時のことは単なる機能不全な家庭を明らかにする一つのキッカケでしかなかったのかもしれない。
実際私はそれ以前から複数存在したし、性格に因るものは大きいと思う。
けれど、私は10年以上心に仕舞いこみ、自らの病を難治化させていた。

どうしても許せる日は来ないだろう。
私が女性を捨ててもそんな日は来ない。
未だに憎悪を超えた、呪いとも取れる気持ちが心を支配する。

あの日がなかったら、私は捨てられなかったかもしれない、
あの日がなかったら、私はあの頃私が思い描いていた私になっていたかもしれない。

けれど、そんな仮定など起こり得ない。
もう過去は変えられない。

今は自分の心の傷のひどさを認識し、
向き合うことが一番必要なことだろう。

「被害者であることを忘れてはいけない。」
そうカウンセラーは言った。
そうなんだろう。
一番辛いのは、私が昔したように自分を加害者に加えてしまうことだろうから。

これまでかなり回復したものの、完治に至らなかったのは、
大きな傷を放置しておいたせいかもしれない。
傷は不適切な処置で化膿している。
今はそっと、そのままでおいておきたい…。

もしかしたら怪我と同じく、完治するかもしれないから。





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00:22 病気 | コメント(0)

あれ?あれれ?

2011/12/11
このところ朝が一番しんどい。
正しく言うと、一日中しんどい。
身体が重くて、頭も重いのだけれど、それでもやることはあるから…やり続ける。

気持ちをどうにか上向きに出来るのは、ストイックとも言えるほどの筋トレ。
持続効果は数時間ほど。
身体が冷えて来ると、そのまま気持ちも冷えて鈍くなる。

何をやってるんだろうか…。

自問自答しながら打開策を練る。
けれど、出てくるのは嫌なことばかりで。

そんな時に聞こえてくるのが、性質の悪い幻聴だったりする。
「ちゃんと子育てしろよ。」
…お前に言われたくない。

思考はぐるぐる回り始める。
私は「その人」を何が何でも思い出したくない。
でも思い出すのは、許して欲しいからなのだろうか。
許してもらえるにはどうしたらいいんだろう。
だけど、私には許せない人が他にもいる。
じゃあ、まず私がその人を許さないといけないのだろうか。
できない。
そんなこと、できるわけがないじゃないか。

いつもそこで私は考えを止める。
結局いくら考えても仕方ないんだから、と。


実は来年から生活が一変する。
私は「障害者」としてではなく、ほぼ健常者として働く。
求められるのは、一人前の働きに、妻として、母としての役割。
負担は今の2倍くらいに増えるだろう。
初めは深く考えていなかった。
やれるかもしれないとさえ思っていたのかもしれない。
だけど、今も限界ギリギリを感じながら生活しえいる。
これでは……。

責任感でどうにか出来る?
責任感なんて今までずっと持ち続けて来たものだ。
ずっと背負い続けて、苦しくて仕方がなかった。
やっと落ち着いて来たけれど、やっぱりなかなか元通りとまではいかないみたいだ。

眠っている時だけ何も考えなくて済む。
ずっと眠っていたいけれど、ずっと眠ってもいられない。

調子の悪い日は薬の力を最大限に借りて、
何かに逃げ込むのが一番。
それが筋トレだったり、DVDだったりするけれど、
それが一番人に迷惑をかけない。

死ぬことが許される時はもう過ぎたのだ。
さあ、今は逃避をして再び上昇するのを待とう。




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10:28 病気 | コメント(0)

回想

2011/12/08
喘息は落ち着きつつある。
少しの喘鳴と痰。
それに息苦しさ。
しかし、レントゲンや血中酸素濃度は問題なかったから、息苦しさは精神的なものだと診断された。
まあ、わかっていたけれど(苦笑)

結局、私は同窓会に行くことにした。
高速バスの予約を取り、ホテルの予約もした。

前に大きな同窓会をしたのは二十歳の時だった。
成人式の前日。

今いくら思い出しても、同級生の名前は半分以上出てこない。
幹事の名前を見ても、「ああ、そういえばいたっけ」くらいだったのだから、
なんとひどい同級生だろう。
卒業アルバムも手元にないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。


最近考えていることがある。

昔、私はわりと優秀な成績だった。
それは将来の見通しを立てた上でそういう道を選んでいた。
周りにもそういう人ばかりだった。
いい大学へ行って、いいところへ就職し、将来はいい旦那さんを見つけて働く。
そう信じて疑わなかった。

だけど、病気を経た今では果たして本当にそれが正しかったのだろうかと思うわけである。
例えいい大学を出ても、私はいつしか病気になったと思う。
病気にならずに、今の生活を送っていたとしても、
だから結局何が変わるのかわからないのである。
確かに自分で誇りの持てる仕事をしているかもしれない。
けれども、人間としての価値は変わらないのは事実ではないだろうか。
子育てしている専業主婦と働きながら子育てしている人、
どちらが偉いなんてあるわけがない。

そうすると、私が今まで選んできた道はなんだったんだろうと思うわけである。
少なくとも、高校時代はそれなりに受験勉強をしたし、それによって私生活はかなり制限があった。
その努力も、この歳になると無意味に思える時があるのである。

主人と一緒に色々な人に会うようになった。
エリート大学を卒業してホテルの支配人にまでなったけれど、リタイアして自営業を営んでいる人。
学生をやめてから、学問の面白さに気付き、熱心に勉強を重ねる人。
一途に器を作り続ける人。

主人と一緒に知り合った人は所謂「ちょっと変わった人」が多いのかもしれない。
私の周りにはそういう「人種」はいなかった。
勿論、「○○している人が偉い」だなんて絶対的な考えはなかったけれど、
「自分は決してならない」と思っていたからなのかもしれない。
要は、多様性は認めるけれど、他人事だと捉えていたからなんだろうと思う。

特に女性は思うのかもしれない。
結婚して主婦になると、今までしてきたことはなんだったんだろうと空虚に思うことすらあるだろう。
(私は病気のせいで、そう思う余裕すらなかった・苦笑)

けれど、きっとそれも無駄ではなかったんだろうと思う。
学生時代重ねた努力も、それから積み上げた努力も。
理屈ではない。
子供が生まれたら優秀な子になるだろうからとか、因果応報とか(笑)そんな理屈じゃない。
ただ、私はそう感じるからだ。
不思議、と忘れたままの数年間のこともそう思えるからだ。

いいも悪いもきっとない。
いい・悪いは人が定めたもので、それによって真に優劣が決まることはない。
(進化論なんかではどうなのか知らないけれど。)

人が様々な努力をするのは、自分の人生に意味を持たせようとするからなんだと思う。
勿論、それがいい意味になれば嬉しいことこの上ない。
ただ、それだけ。
単なる自己満足だったりする。
人に称賛されようと、人に批判されようと、それもまた人によるもので。

ただ、私は思う。
どんな私でもいいじゃないか、と。
私と私の大事なものさえ良いと感じるならば、いいじゃないか、と。
人は心も成熟し(し始め)た時にそう思うという。
それが分かり始めた最近の私はなかなかいい感じではないだろうか(笑)
少々うぬぼれているかもしれないが、これは歳を重ねる魅力だろう。
昔の自分にはなかった考えではないか。

このまま自分を好きになれればいいなと思う。
それと同時に、いつまでも自分の人生の意味を問い続けるだろう。
私にとってのいい人生の意味を。





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16:37 戯言 | コメント(0)
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