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記憶の断片と今ある責任

2011/06/10
昔から、私の夢に母が出て来たことはない。
夢ではいつも「お母さんは今日もお出かけしていない」ということになっていた。


お久しぶりです(?)
ようやく恐慌状態から脱出しつつあります。
今日は記憶の断片から少しお話をしようと思います。

最近はショッキングなことがたくさんあって、それをキッカケに記憶の断片がたくさん出てきました。

母の後ろ姿を追って、泣く姿。
また放って行かれたと、喚く姿。
父が遠く思えたある夜。

ハッキリとは思い出せませんが、どれも「私」を「斜め上」から見ている映像です。
冷静に解析すれば、既に解離していたのかもしれません。
それとも、ショックな状況から心を守るために心理的な距離を置いているのかもしれませんが。

とにかく、私が物心付いた時には、母は仕事でいませんでした。
祖母、祖父、姉とお留守番。
日曜日、母に近寄って行ってもよく怒られました。

きっと母も仕事と家事で忙しかったんだと今になって思います…。
父は私が幼い頃は仕事が忙しくて、平日は寝てから帰っていましたし、
休みの日も呼び出しがしょっちゅうでした。
そんな中だと、そりゃあ、母もイライラするだろうなぁ…。
だからなのか、日曜日は一人、車に乗ってどこかへ行っていました。

だからって、子供を置いていっていいわけではありません。
「仕方がなかった」と割り切っていいものではありません。
子供側としては「仕方なかったのだろうなぁ」と思っても、親としてはそう思ってはいけない。
それが親としての「責任」だと私は思うのです。

最近映画を見ました。
「青い鳥」という阿部寛さんが主演の映画です。
それは「いじめ」を扱ったものでしたが、静かながらとてもいい映画だったと思います。
主人公はいじめで自殺未遂まで図り転校していったクラスメートのことをずっと気にしながら生活していました。
自分もいじめに加担してしまったから。
しかし、周りは忘れようとし、彼自身も平穏を装っています。
そこへ現れた先生。
それが阿部寛さん演じる村内先生ですが、村内先生が教えたこと…それが大変重みのあることでした。
初めは落ち付きつつあった教室に波風を立てますが、
後に生徒たちは心から「反省」と「責任」ということを学んで行くのです。

「責任」。
それは自分が悪いことをしたのなら、その気持ちを忘れず持ち続けるということ。
悪いことをしてしまった相手を忘れてはならないこと。
例え、相手が忘れてしまったとしても、自分は忘れてはならないこと。
自分が悪いことをしたという事実から逃げないこと。
一度償ったからと言って終わりではない。それは、罰でもない。「責任」だ。

これって、とても大事だと思いました。
昔は子供でした。だから、忘れなくてもいいし、忘れてもいい。
けれど、私の親はそうじゃない。
しかし、私は今は親でもあります。
そう、だから「責任」を持つのです。

決して誰一人として、完璧な教育など施せないでしょう。
だけど、それを「仕方ない」と割り切ることなく、諦めることなく、
「ごめんね」と思いながら、子供(娘)をその分思いやる。
私は、逃げません。
逃げたくないのです。
何故なら、私はこの子の母親だからです。

間違いが悪いわけじゃありません。
間違いを正さず、悪いと思わなくなるのが、良くないだけです。


私は良くない母親かもしれません。
しかし、歪な愛情であっても、私は娘を愛しています。。。。。。





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09:39 過去 | コメント(0)

恐慌状態であろうと

2011/06/06
ついに来た。

それは何かと言うと、不調の波というものである。
「外部」は大荒れ、「内部」も崩壊寸前になった。
というのも、色々「外部」つまり身体の外側の現実がトラブル続きだったからである。

詳細は書かない。
いや、書けない。
未だに私たちの中では処理に困り、持て余しているところがあるからである。

こんな時に誰かを責めると楽になるのだろう。
しかし、私はそれを望んでいないし、それをしても一時的なものでしかない。
あくまで病気の「スイッチ」を押されただけであって、「スイッチ」が入ったままになっているのを選んでいるのは、紛れもなく私たちなのである。


今回の不調は今までと異なっている。

動かなくては気が済まないのだ。
苦しくても動き続けるのだ。
これは躁という状態に近いのかもしれない。

例えば洗濯を干していると、ゴミが目に付いた。
ゴミを集めるが、他の埃も気になって掃除を始めた。
掃除をしたら、今度はさっき集めたゴミがいっぱいになっている。
さあ、ゴミを集めて出さなくては。
あ、ゴミ袋が少ない。
ではゴミ袋を買いに行かないと。
ゴミ袋のついでに買い物をしよう。
冷蔵庫の確認をする。
冷蔵庫の整理をしないと。
あと、ここ数日間の献立を考えなくては。
それなら今から夜ご飯の下ごしらえをしておかないと。
下ごしらえをした。
冷蔵庫を片づけた。
買い物をした。
ゴミを出した。
掃除もした。
洗濯もした。
アイロンも掛けた。
それから?、それから??

どんどん、どんどん、雪だるま式にやらなければならないことが増える。

「どれもささいなことだ。
どれも皆がやっていることだ。」

そして、やり続ける。
もちろん、落ち付かない。
食事も流しこむように食べ、5分として椅子に座らない。
8時間働き続けるなんていうこともある。
当然、身体はぐったりする。
苦しくなる。
なのに、次やらなければならないことばかりを考え続け、頭がパンクしそうになる。
もう気が狂わんばかりの状態にまでなる。

主治医は強い薬を飲んでぐったりしてでも、休む必要があるだろうと言う。
けれどもそれを私たち自身が許さない。
動かなければ、強迫に似た思いがどんどん強くなるばかりだ。

カウンセラーは言う。
回避行動を止めなさい、と。
回避行動とは、何か過去にあった嫌なことを避けるために行動をすることである。
(特定の個所を避けるなど。)
回避行動はストレスをより強める。
じゃあ、どうすればいいのか?
それは選択肢を増やしてやることだという。
「敢えてしない。」
それもありだということを自分に作ってやるのだという。

しかし、休めない。
休むのが、怖い。
どうしても、怖い。
どうしようもなく怖い。
心の「底」が外れてなくなってしまったみたいだ。

今は比較的落ち付いているから家で座っていられるが、
また動き続ける?
またやらなければいられなくなる?

主治医からは作業療法を勧められた。
そこで何をしてもいいし、もちろん何もしなくてもいい。
ただ、家から離れて、しなければいけないことから離れてください。
そういうことらしい。

性分だと言われればそれまでだろう。
そうだという割り切りも必要だと思う。
だけど、こんなに苦しいのを続けていても、性格だからと言えるのだろうか。
否、本人が苦しいと継続的に思うならば、それは性格だけのものとは言えないだろう。


色々あった。
あり過ぎた。
けれど、全てを人の所為にしたくない。
だからといって、「そこそこ」で受け入れることもできない。
どんなに大きな山であっても、乗り越えて私たちはまだ成長したい。

できれば今の不幸を嘆きたくない。
過去の不幸も嘆きたくない。
今の幸せだけは忘れないでいたい。

今は力を振り絞って、
苦しくても背を向けないで、
将来は今の自分を誇りたい。


どうか、想いよ、力になれ。
この祈るような想いよ、力になれ。





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10:13 病気 | コメント(2)
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