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時効かな、ということで

2010/09/25
昔の状況を綴ることにした。

私(たち)が結婚したのは今から2年ほど前。
その一年前(つまり3年前)に私は夫に会った。
きっかけは省略する。
その時の主人格(基本人格ではない)が対面している。

それから内部の様々な人格と夫との交流が始まった。
月に1度ほどは会っていたのではないだろうか。(当時は住まいが離れていた)
PCや電話で連絡を取り合っていた。
病状はひどくなる一方だった。
自殺未遂は数えきれなかった。

そんな中、私たちは失意の中、大学を去る。
行き先は今の夫との住まい。
夫の実家は自転車で行ける距離にあった。

私はバイトを夫の勧めで始め、演劇を始めた。
その当時よくあることだったが、理由もなく何もかもが苦しくなった。
(もちろん慣れないことばかりでうまくいかなかったのもある。)
私はその二人の住まいで首を吊った。

目が覚めると大きな病院で寝ていた。
(後の話では、夫が夫のお母さんに連絡をして、訪ねて来てくれたらしい。
そこで死の一歩手前で発見されたのだ。
意識はまったくなかったが、一度目を開けて夫の姿を見ると喜んだという。)

父と姉が迎えに来てくれていて、私は実家に連れて帰られた。
すると、すぐ地元の病院に入院させられた。
1カ月経って良くなっても「家でも誰も看られる人がいないから」と
病院でいるように言われた。

夫は遠いけれども、仕事の隙間を縫ってお見舞いに来てくれていた。
普段は(病院の公衆)電話で話をした。
そこで私たちは言った。
「このままだと一生出られない…。きっと出す気もないんだ。」
夫は電話の向こうで必死に解決策を練ってくれていたに違いない。

ある日夫は驚くべき解決策を提示した。
それは「結婚し、保護責任が夫になったところで脱走する」という策だった。
戻れない。
でも、私たちはその選択肢しかなかった。
そう、生きるために。

それから(自殺未遂前に予めある人格の承認で用意していた)婚姻届を提出し、
逃亡の作戦を練った。

逃亡の前日。
夫から確認の電話があった。もう本当に引き返せない。
でも、決めてしまった私たちに何も恐れはなかった。

予定通り、私は外回りの院外散歩に出た。
病院で色々お礼を言っていると案外時間がかかった。
少し時間的には遅いくらいだ。
散歩コースから少し外れたところに大きなバス停がある。
そこで夫は待っているはずだ。
私は持っていた中で一番マトモな衣装で駆け出した。

バス停で夫はいた。
珍しく遅れそうだった私を心配そうに待っていた。
そこから駅に向かい…
高速バスに乗って元あった私たち二人のすまいに帰った。。。。


それからはバタバタした。
何せ転勤が決まっていた。

引っ越し準備に追われ、
結婚の写真撮影をし、
(婚家での)結婚の挨拶に追われ、
実家とは連絡を取らないまま、
(持っていた携帯は破棄されていた。新しい携帯に替えたが、連絡しなかった)
北へ飛んだ。

そこからは気候から暮らしから、慣れないことばかりで、
あっという間に時間が過ぎた。

たくさん夫や夫のお母さんにも迷惑をかけた。
でも、温かく見守ってくれたのだと思う。
あの頃の私たちは何一つ満足にできていなかったし、
そんな自分にも嫌気が差していた。
でも、誰も責めたりなどしなかった。

でも、そんな私たちのところに天使が来てくれた。
私たちは一気に幸せ呆けになった。

あんなにたくさん薬を飲んでいたし、
しかもその薬も正しく飲んでいなかった。
奇跡は起こるんだと、心底思った。

今は何と充実した毎日だろう。
昔を思い出しても、恥ずかしい気持ちになることすらある。


「許される」。
それが私たちを救ってくれたことだった。

だから、言いたい。
皆が既に許されているんだと。

それを少しでも覚えておいてもらえると、
私たちは幸せだろう。。。。




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22:31 過去 | コメント(4)
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