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自分を忘れる

2009/12/25
目が覚めて、ふと「あれ?自分って誰だっけ?」そう思う時がある。

それは自分(身体)の名前を思い出せないとか、そうじゃなくてただ、真っ白になっている。

次の瞬間、とても怖くなる。

私はたくさんのやりかけのことを放りだして、
消えてしまうんじゃないかと。

死ぬんじゃなくて、「消える」。

母親という役割も、この(預かっている)身体を守るという義務すらも忘れる。

それは「人格の死」ということで。
慌てて頭の中の人に呼び掛ける。

でも、隣にいる小さな存在のお陰で現実に戻る。
(頭の中からも返事がある)

一生懸命泣いて私を求めている、愛おしい存在。


頭の中の世界は相変わらず薄暗くて、静かだ。

「広場」にはソファや椅子が並び、両側に廊下が続いている。
廊下には各々の部屋。ベッドと本棚、必要なものだけが備え付けられた部屋。


産後は本を読んではいけないと言われつつ、育児の間ある本を読んだ。

町沢静夫 著 『告白 多重人格』。

2007年出版された本だから、結構新しい方、だと思う。

そこには多重人格の治療法や患者の頭の中の世界感が書かれていた。

頭の中の世界は患者によって多少違いはあるが、だいたい「広場」と各人格の部屋があるらしい。
人格同士の力関係なんかもわかりやすく説明されていたと思う。

治療法は、主にまず、基本人格が目覚めてなかったら起こして、基本人格を強化し自信をつける。
勿論、全ての交代人格と話をし、基本人格中心という体制とする。
強くなった基本人格に交代人格が「入り」、交代人格との統合を進めていく。
そんな感じだった。

ちなみに、結果的に「治る」というのは一人に戻ることではなく、日常生活に支障を来たさないということらしい。

現在の私たちの状態は日常生活は混乱していない。
ただ、時折収集がつかなくなるけれども。

統合が進んで行くと、はっきりとした「境界」を感じなくなるらしい。
つまり「今は○○(名前)だ。」とかそういう人格の途切れ目がわかりにくくなる。

ということは、今の私の状態は統合した状態なんだろうか?
だとしたら、誰と?それで現在は誰?

学生時代、言語学の授業で「ものと名前の関係は恣意的」だと学んだ。
つまり、ものと名前に絶対的な関係はないということだ。
例えば「りんご」は「りんご」と名付けられたからそう呼ばれているだけということである。
赤いから、丸いから、「りんご」という訳ではない。だから、言語によって名称が違う。

ちょっと待って、それだと名付けなければものには名前がないことになる。
だから、生まれた人間には名前がないから、名前を付けるんだ。
存在が確認されてから名付けられる。

じゃあ、「身体の名前」じゃなくて「私自身の名前」って何だろう?
存在が頭の中で確認されているから、頭の中ではこの名前は有効。
だけど、外の世界では存在が確認出来ないから、「私自身の名前」は無効。使えない。

使えなくても、頭の中の世界だけでのものであっても、
自分が誰か、何者なのか、しっかり覚えておきたい。

バラバラになりそうなアイデンティティの中、別の名前をかたって生活する。
鏡に映る顔は自分とは違う顔。
それしかない。

かなり切ないけれど、忘れたくない。
消えたとしても、統合されたとしても、どこまでも持っていきたい「私の」記憶。
いつしか、不幸な「誰か」の記憶さえも流れて消えていく。
溶けていく。
そんな時をずっともう、待っているのかもしれない。



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11:17 戯言 | コメント(2)
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