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「急がば回れ」

2009/04/30
って、何だろう?

今日ブログを開いて、書いた覚えのない記事にびっくりしたのだけど…、
不快感顕わな皮肉たっぷりの文章を読んで、意外に的を得ていると思った私だった。

投稿者はまだ確認はできていないが…
まぁ、「他人」ではなく「この身体の中の誰か」なのだろう。
昨日身体に溜め込んだ複雑な気持ちを素直に言っただけらしい。


「根っこ」…。
それは病気の根本みたいなところのような、「本人」を指しているような
曖昧なところがあるけれど、当たっている気がする。

とりあえず、「治る」というのがどういう状態なのか、
つまり「目標」を明確にしておく必要がありそうだ。

共存か?統合か?
どうも皆は共存を望んでいるらしい。
統合はリスクが高すぎる、だそうだ。
確かに「本人」は眠っているし、未だ混乱の中にいる。

今でも共存と呼べる状態にはあるのだけど、安定はしていない。
昨日のように監視外の行動を取っていることもある。

では、どんな状態が安定していると言えるのか。

まず、人格間の交流ができる。(つまり、情報を共有できる)
「いつ」「誰が」「何をした」が把握できる、など。

その次は、各人格が安定していること。(つまり、交代してもぶれない)
これには嫌でもPTSDの治療が付いてくることが予想できる。

後は、交代が自由にできる、交代に苦痛を伴わない。
(頭痛の軽減など身体症状の改善などを希望)

以上3点が目下の目標だろうか。
人によって、少々ずれてくるかもしれないけれど、
こう示しておくことで多少整理できるだろう。(一応管理責任者なので)

「本人」への対応を含め、まだまだ意見や課題も多いけれど、
幼少期からゆっくり形成されてきたものだけに、それ相応の時間がかかることだろう。

「急がば回れ。」
ゆっくり行きたい。焦って大切なことを見失わないように…。



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21:17 病気 | コメント(0)

気休めの嘘は要らない

2009/04/29
「絶対何があっても、俺は○○の味方だから。」
そう昔の男は言った。

そんなこと、誰が信じるわけ?
私はとっくに別の男と結婚してる身だっていうのに。

メールしていると、イライラして途中で無視してやろうかと思った。

今更昔あった私の知らない話をされても困るだけだ。
結局、双方の両親が反対したから、一緒にならなかっただけ。

なのに、今更その時のぶっちゃけ話(病気以外は褒めてたとか)をされても、もう遅い。
いつ彼女ができるかとか、私に聞かれてもそんなものは知らない。


結局飾っても偽っても、私、という人間は健常者では有り得ないのさ。
たとえ良くなっても、健常者にはなれない。
それは、この身体が一番良く知っている。

深い根っこにあるものを取り除かない限り、無理なのさ。

だけど、それはきっと不可能に近い。
そんなことをすれば、命さえも失いかねない。

根っこがなくなったら、それから上の幹や葉は生きていけない。


根っこが腐りかけのこんな人間の、絶対味方?
無理。
今までずっと味方でいてくれた人なんて、いるか、いないか。
気が付けば、誰もが距離を置いてるよ。
自分でもたまに距離を置きたくなるし。

可哀想って高い所から憐れんでいれば?
少しは気持ち解るって本気で言ってるわけ?
高い所からの眺めはいいもんね。
解った気になるのはさぞかしいい気持ちだろう。

だけど、気休めの嘘は要らないよ。
絶対、とか付けるのはやめて欲しい。
それは絶対嘘だと思うから。


言いたい放題・愚痴失敬。



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23:09 戯言 | コメント(0)

私が覚えている子供時代

2009/04/28
私は長く「彼女」と人生を歩んで来た。
「彼女」自身は気付かなくても、私は影となり、二人で生きて来たつもりだった。

家族構成は、祖父に祖母、両親に三つ上の姉。
片田舎にある、どこにでもあるような普通の家庭だった。

体格は小柄で運動神経はあまり良くなかった。
そのせいか、その他のことで他人に勝ろうという気持ちが強かった。

性格は積極的ではなかったが、好奇心は旺盛。特に知らない熟語はよく父に尋ねた。
母曰く「情緒不安定な子」だったようだ。
母との口論で「死んでやる!」とタンカを切り、包丁を要求したのが5歳だったと記憶している。
物心がつくころには隣で眠る祖母を見ながら、「いつしか皆に訪れるであろう死」を恐れ、
「死」についてぼんやりと考えていた。

得意なことは、一人遊び。
両親は共働きで、家には畑仕事をしている祖父母がいた。
近所には同い年の女の子の友達がおらず、人形のリカちゃんをいつも遊び相手にしていた。

小学校へ入学と同時に姉と比べられることが増える。
当時は今では考えられないくらいだらしなかった。
(時間割はしない、字は汚い、給食エプロンはぐちゃぐちゃ…散々だった)
しかし、姉の「躾」により、潔癖までのきっちりさんとなる。
(常にハンカチとティッシュを持ち歩き、下敷きと定規を使ってノートを美しく取り、
目に付くものは綺麗に片付ける、という具合にまでなる)

同時に姉に倣って成績も(体育以外は)常にトップクラスだった。
両親はそんな「彼女」を褒め、誇りにした。
いつしか、姉に追いつき、追い越そうとしていた。
成績至上主義だったように思う。

習い事は、習字にピアノ、そろばん、一時はバレーボールもしていた。
バレーボールは身長にも恵まれず、ピアノに専念するために一年で辞める。
他のどの習い事も並の子よりも秀でていた。
特に、そろばん塾で毎週土曜日に行われる「勝ち抜き」という他人と競う時間を楽しみにしていた。
年上の子さえも、自分に勝てないことが公に示される時だった。

小学校高学年~中学時代に渡って、イジメを受ける。
成績が優秀なことと、生意気な態度が反感を買ったらしい。
しかし、「彼女」は悔し涙を飲み、
「あの子らはどうやっても自分に届かないからこうするしかない」と捉えていた模様。
(母もそのようなことを言っていた覚えがある)

家庭内は母と祖母の対立が激化、小学校4年くらいのある朝から食事が別々になっていた。
しかし、依然、祖父や祖母と寝ていたため、結果として嫁・姑の板挟みになる。
(姉は数年前に改築された2階で寝ていた)
そして、それが更なる不運な出来事の引き金になる。

やがて、県内でも有名な進学校の高校へ進学。(姉は県外の大学へ進学し、下宿)
両親は勉強に対して何も言わなかった。だが、成績が優秀な「彼女」を自慢する節はあった。
「彼女」の目標は「両親の手を煩わせないこと」だった。
夕食が済むと、自室へ自ら向かい、そこそこに勉強、
合間に漠然と考え事をしていた。
たまに家を抜け出し、近所をジョギングして漠然とするそれを発散していた。
そして、通学中や授業中に体調不良を訴えては、早退することもよくあった。

高校在学中に祖父は死去、伴侶を失った祖母はみるみるうちに元気がなくなり、
認知症を患った。
均衡を失って嫁・姑のバランスは崩れた。
その頃から母は調子を乱し始めた。
ある時期が来ると、突然、家事ストライキを起こし、荒れた。
口もきいてもらえなかった。

祖母を心配しつつ、母の顔色を窺い、父を気遣った。

それが高校3年間(+大学時代も)続いた。
三者の心境をわかるのは、自分しかいなかったのだと「彼女」は言っていた。

その中、無事「彼女」は有名私立大と中堅国立大に合格。
経済的負担の少ない国立大へ進学を決めた。



常に「彼女」が目指したのは「手間のかからないいい子」「優秀な子」だった。
決して強要された訳ではなかったのだが、自然とそれが身に付いていった。
同性の姉との競争のせいなのか、当初の劣等感の裏返しなのかわからないが、
高校時代までかなり固執していた気がする。
どちらにせよ、「いい子」でいることが祖父母にも両親にも喜ばれたことは言うまでもないだろう。

従姉妹も皆優秀だった。
競争する環境は既にあったのかもしれない。

こうして、今から振り返って書いていても、まるで他人のことのように感じる。
あれだけ、必死に二人で生きて来たのに。
色のついていない、古いコマ落としのフィルムが映し出されるような、そんな記憶。

昔は鮮やかだったのに、
もう、そんな記憶は必要ないと言わんばかり。
そう言えば、楽しかった記憶も今では思い出せない。
残っているのは、薄暗い灰色の記憶ばかり…。

いつか、また「彼女」が忘れている私の記憶が必要になる時が来るだろう。
でも、それを出来れば避けたい…そう思うのは私だけだろうか…。

自然と忘れられたらどんなにいいか…。私はそう思えて仕方がない。




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21:30 過去 | コメント(0)

過去を振り返って、未来へ

2009/04/28
風邪をひいていました。現在治りかけです。

…こんな時に限って皆出るのを渋ります。
身体が辛い時は確かに嫌だけれども。(妊娠中なのでお薬も飲めません)
勝手だなぁ……。
皆部屋から出てくる気配すらありません。

仕方なく、出る人。。。私。。。


最近は表面上、私が見える範囲では落ち着いています。
だけど、処理しきれていない圧倒的な強い感情がどこへ行っているのかを考えると…
かなり不安になります。
実際、まだ確認できていない人がいるみたいですから…。
たまに制御が効かず、現れるそうです。

私たちの半数が過去のトラウマを抱え、時を止めたままです。
比較的年齢が若い人格が多いです。
外にはあまり出ず、管理に回っている大人の人格は(本人曰く)歳をとっているらしいですが。
混乱している等、緊急の場合のみ外に出てくるようです。
現在表に出る人格は主に2,3人です。
ここ一年でその体制に落ち着きました。

2年前まではポップアップのように頻繁に交代していたのですが、
あの頃の私は随分ひどかった…。
「本人」によって自分に押し付けられた役割に不満タラタラでした。
皆、荒れていたと思います。
寝ないし、何も食べない、そのクセ筋トレだけはする。
洋服は買い漁るし、友人関係はグチャグチャでした。
今でもよく生きて来れたなと思う程です。

その分だけ心身共にたくさんの傷も負いました。
身体はリストカットやOD、摂食障害など。
(体重は38kgまで落ちました。体脂肪は男性平均より低かったです。
最近の調査で20歳以降に5kg以上痩せると早死にする可能性が高まるそう…。)
水さえ飲めなかった時期もありました。

対人関係では、信用を失い、夢は半ばにして諦めざるを得なかったり。
夢は…また「本人」の情熱さえあれば、叶うかもしれませんが、
周りの人から信用を失っていったのは辛かったです…。
だけど、大学院で学んだことは無駄じゃなかったと思います。
うん、皆も必死の中で必死に学ぼうとする「本人」を支えたし。
きっと、私たちはベストを尽くしたんだと思います。。。

風邪と同じで、今はまだ「治りかけ」。
あくまで症状が落ち着いているだけに過ぎないのでしょうが、
今は「本人」に休んでもらって…ゆっくりゆっくり治していきたいです。
いつか全ての事実に向き合わないといけない日も来るでしょうが、
また皆で支えたいですね。

どこかの同じDIDで苦しんでいる方のサイトで見て、頭に残っている言葉があります。
「ひとりでみんな、みんなでひとり」
それを大事にして、日々を過ごしていきたいです。

出産・子育てが落ち着いたら、また勉強(資格や語学など)したいなぁ。



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12:01 戯言 | コメント(0)

親と子の絆

2009/04/26
それがどんなものなのか、今まであまりいい意味でわかったことはない。
切っても切れないものだというのは、痛感しているけれど。

でも、主人と義母(つまり主人のお母さん)を見ていて、
我が家にはなかった繋がりを感じる。
親と子という上下関係のようなもの以前に、人と人との信頼関係がある、というか…。

ちょっと羨ましいような、寂しいような気持ちになる。
私には、解らない感覚で…正直言うとちょっと「除け者」の気分。

いつでも、私は両親の前では「人」である前にまず彼らの「子供」だった。
子供は当然のことながら一人では生きてゆけない。
だから、時として必死に見捨てられないように振る舞った。

いつしか、壊れてしまったけれども…。


果たして自分は、今お腹にいる子供との間に信頼関係を築いていけるだろうか…。
勿論、それは私と主人に委ねられているのだが、私は自信が持てない。
気が付いたら、子供に当たってそうな自分が怖い。

これが不幸の連鎖というやつだろう。

まだ、私(たち)の中には「人間不信」というものが巣食っているらしい。
不変で、絶対的なものなど存在しないと、どこか思っている。
それが幼い頃与えられなかったことで、自分も与えられるわけがないと思っている。
ましてや、安定して一人の人格がずっと子供と接することができるわけではない。

…ずっと望んだ子供を母親の理由だけで無下に扱っていいのか?

勿論、いいわけがない。
どんな子も、愛されるべきだ。
そう、どんな子であろうとも…。

最近は何でも高級志向だ。
妊婦向けの雑誌でも「安産」の上の「満足産」を目指す宣伝が書かれている。
(つまりは毎月お金を払って勉強したり、運動したり…という教材みたいなものの宣伝らしい)
母親が満足いくお産をすることで、赤ちゃんにもいい影響がある、というのはわかるが、
少し前までの妊婦さんなんてそんな余裕、なかったのでは?
(経済的・時間的)余裕がある人だけができるものなんて、それって本当に必要なものなのか?

私は捻くれているだけに、こんな発想しかできない。
個人的には、望んだ命が無事生まれてくるだけで十分なのではないか、と思う。
薬を常に服用しているだけに、私には尚のことだ。

大事なのは心の余裕だと、主人は言う。

その通りだと私は思った。
心に余裕を持って、私は子供と向かい合っていきたい。
私の子供だから、私たち夫婦がこの子を愛さないで誰が愛するのか?
だから、やっぱり少しでも病気(うつ病やPTSD、DIDも)は治していきたい。

どうか、子供の成長と同じくして、私も母親として成長できますように。。。



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16:42 戯言 | コメント(0)

否定したい気持ち

2009/04/25
私は所謂「交代人格」の一人だけど、それでも自分がDIDであることを否定したくなる時だってある。
それは過去から解放されて幸せを感じている時。
今は理解者もいるし、私を脅かすものは特に無い。

目を瞑れば見える、成長しない身体と、薄暗い空間が嘘みたいに思える。
皆の声も幻聴であればいい…。

主人格をもう長くしているせいか、現実世界の方がリアリティーがある気がする。
だけど、そこに点在しているのが、頭の中の世界。
頭の中の世界があるから、この身体は生きていけているという、現実問題。
経験者にしか解らないだろうけど、こちらも現実なのだ。

つまりはDIDを否定しても、現実は変わらないということだ。
寧ろ、向き合わないと解決には向かわない。
皆となるべく情報を共有出来るようにしていないと解決どころか、実生活に支障が出て来る。


あくまで私は交代人格の一人で、一時的に身体を預かっているに過ぎない。
それを忘れないで、責任を持って生活を送ること、それが一番大切なことなのかもしれない…。

いつか目覚めるであろう「本人」のために…。



今日は携帯からなので短く終了(笑)

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17:12 未分類 | コメント(0)

何年経っても…

2009/04/22
幾度季節が巡ろうとも、
あの男が許せない。

昨日、主人と話していて、久しぶりに思い出したのだが、
言いようのない憎悪が駆け巡った。
最後にこんな想いが身体を支配したのは、一体いつだったか。

そう、少し前まで私は怒り・憎悪の管理者だった。
いつも怒りを抱え、やり場のない怒りに何度も自傷行為も行った。
煙草を吸い、ひたすら自分を抑えたこともある。
今ではほぼ主人格の位置に落ち着き、温和な暮らしをしていたけれど。
でも、覚えている。
最後、あの男に罵声を浴びせたことも。


あの男―それは「本人」が当時約6年間付き合っていた彼氏だった。
元高校の同級生で遠距離恋愛だった。
付き合い始めの幸せな時期は、二人が、ましてあの男がどうだったのか、
私はほとんど知らない。
けれど、破綻の色が濃くなり始めた頃、たまたま見たあの男の顔は恐ろしく冷淡だった。
理由はわからないがひたすら謝り続ける「本人」を無視したまま、横を向いていた。

思えば、元々私の中ではあの男にはいいイメージがなかった。
時間にだらしがなく、自分よりも「頭の悪い人」の話は聞かなかった。
「頭の悪い人」の中に、自分の彼女―つまり「本人」が入っていたのは言うまでもない。
だから、「本人」の意見に一切取り合わなかった。

あいつは、世間一般でいう「ショウライユウボウ」な医者の卵だった。
だから、虫の一匹も殺せないような顔をしていながら、あんな傲慢さがあったのかもしれない。
所謂エリートなのだ。
余談だが、月経中も行為に及ぶような変態、もしくは自己中男だった。
人の血を見ても平気だったという点で、医者には向いていたのかもしれないが…。

精神的に病み、身体は痩せ、腕にいくつもの傷を残している「本人」に、
あいつは一度たりとて何も聞かなかった。
それどころか、二人が喧嘩して思い詰めた「本人」がODするのを見ていながら止めず、
隣で心配することもなく、のうのうと鼾をかいて眠るだけのことをやってのけている。
翌朝、薬でフラフラしつつも朝食のホットドッグを作った「本人」に対して、
何も言わなかったのも、私がよく覚えているあいつの非道さだった。

あいつは最後までだらしなく、自分から手を下すことをしなかった。
あいつは「本人」を疎んじ、家(実家)に上げなくなった。
国家試験が近付くと、拒否に拒否を続け、連絡さえもよこさなくなった。
ひたすら「本人」は我慢してそれが終わるのを待ち続けた。

でも、国家試験が終わっても連絡は来なかった。
だから、ついに「本人」も重たい腰を上げた。
きっと優秀なあいつなら受かっていることだろう、ぼんやりと私は思った。
「もう私のこと、好きじゃないなら、別れようか。」
「……。」
そんなのは明白だった。嫌いじゃないにしても、好きではなかっただろう。
あいつはどれだけ待っても答えなかった。
だんまりはあいつの得意技だった。大切なことは全部だんまりを決め込むのがお決まりだった。
一応、フォローも入れておくが、口下手なのもあったのだと思う。

痺れを切らした私が思わず、遠慮勝ちににボソボソと話す「本人」を押しのけしゃべっていた。
いや、電話で怒鳴っていた。
「また黙るん?!ええ加減にせぇや!
アンタが「うん」て一言言うだけで、しんどいことも全部終わるんや!!」
「……。」
さすがに動揺したらしい。明らかに態度が違うからか。
ちなみに私は関西弁を話す。ちょっと地元の方言とは違う。

「私、この身体の別の人格。ハジメマシテ。
いつまで経ってもケリがつかんから、出さしてもらったワケ。
気味悪いて思てるやろ?…一部アンタのせいやで。」
私の暴言は続いた。
「さっさと○○(本名)なんか捨てて、エライオイシャサマになったらええやん?
好きな気持ちなんか無いんやったら特に。どうせ○○の気持ちなんか分からんのやろ?!」
相変わらずあいつは沈黙を保っている。私はジリジリしていた。
「ホンマにだらしのない…。幕引きも自分でせぇへんのやな。
どっちかの二者択一や。好きか好きでないか!
もう好きでないんやろ?!」
ほぼ脅迫に近い尋問だったのかもしれない。
「……うん……。」
数分後に小さな声が聞こえてきた。

「わかった。ほな、長い間オ世話ニナリマシタ。」
「……。」
「その代わり、アンタいい医者になりな。」
精一杯の皮肉だった。
「…うん。」
「ほな。」

電話を切った。そして、6年間続いた縁も最後は私がぶった切った。
少し「本人」に対して罪悪感を感じたけど、憎しみの方が遥かに大きかった。

それから暫くして、「本人」は今までどうにか保ってきた力が全て抜けたように壊れてしまった。
今も、ずっと……。


それほど大切にしていたものだったのだと、私は再確認していた。
主人が言った。
「全部、受け入れられればよかったんだろうけど…、若さもあるし、
今聞いた相手の感じではそれが出来ない人だったんだろうね。」
「…うん…。」
不意に現実に引き戻されて、曖昧に相槌を打った。
私は思い出した憎しみの味からふと、言葉を漏らした。
「結婚した今でも、これから先も、ずっと苦しめばいいとさえ思ってしまう。」
「それは…ずっと苦しむんじゃないかなぁ?俺の勘やけど。」

勿論、それが「本人」の望むことでないのはわかっていたけれど、
その言葉を聞いて、不謹慎かもしれないが私は安心していた。
何故なら、一生「本人」はあいつを忘れはしないだろうし、
あいつも一生「本人」とのことを忘れはしないだろうから…。


久しぶりに憎悪という感情を思い出した私は頭が混乱していた。
憎悪という感情は苦痛に近い感情、または苦痛も伴う感情だと、初めて知った。
そして、憎しみに支配された私が別の人格と交代したのは、また別の話…。



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16:18 過去 | コメント(2)

DIDに気付くまで

2009/04/21
最近ある人格はご機嫌斜めです。
理由はネット社会に溢れる(おそらく)「DIDなりたがりさん」があまりにも多いから。

情報が多いのはネットの利点でも欠点でもありますよね。
診断基準とかが載せられていて、それのいくつかが当てはまるとそうなんじゃないかって思ってしまう。
そして、典型的な症状を作り上げてしまう。(例えば記憶が途切れ途切れとか)

ま、当事者として、それが堂々とのさばっている失礼、名乗っているのが許せないんでしょう。
まるで、それが一種のステータスみたいに振舞っている方もいるみたいですから、
そういう姿勢が病気自体の誤解を招き、当事者の方を更に苦しめることになりますよね。

結局は診断はお医者さんに任せろっていうことでしょうかね…。
その医者も、まだ日本では数少ないのが現状ですが…。
ん?だから余計に、DIDを名乗る人の多さが目に付くんですかね。
とにかく、やたらと自己診断でDIDを語らないこと、ですね。
自分のためにも、他の人のためにも。




初め、「本人」は何も知らず、精神科のドアを叩きました。
ずっと気分が落ち込んでいて、不眠は続き、食欲も減退、何もする気力がなかったからでした。
あとは昔から時折あったひどい偏頭痛でしたが、これは医者には言っていませんでした。
持病で体質によるものだと思っていたようです。(これは後に人格交代に伴うものだとわかりました)
診断はご察しの通り、うつ病。

当時のことを「本人」が日記に綴っていました。
来る日も来る日も一日中ぼんやり過ごし、悲観的な内容ばかり書いていました。
しかし、ある日明らかに筆跡の違う文字がノートに書かれていたので、「本人」は驚きました。
勿論、一人暮らしをしていたので、他の人が書くなんてありません。
書いた覚えもない。
眠剤が効いて寝ぼけて書いたんだ、と思って過ごしていると、
また違う筆跡で書き込みがありました。今度は血文字でした。
恐る恐る左腕を見てみると、傷が残っていたのでした。それといつもの偏頭痛。
さすがに不気味で、ネット上を探しまくりました。けれど、有益な情報は得られず。
アブナイ夢遊病なのかなぁ、そう思ったようでした。
まさか、自分が昔読んだ「24人のビリー・ミリガン」のような、事態になっているとは思わなかったのです。

時を経るごとに、うつ病は深刻化していきました。
自傷行為、ODは日常化し、学校へも行けなくなったので、医者から休学を勧められました。
そして、地元の病院で入院。
そこで出された診断が「解離性障害」でした。
はい、ただの「解離性障害」。
どうも、日常的にぼーっと意識を手放して、その時自傷やODをしている模様とのことでした。
納得いかないこともあるけど、「本人」は一応それで納得したようでした。

けれど。
入院中のある日、医師との面談に現れたのは「本人」ではありませんでした。
異なった名前を名乗り、自ら現れた理由を述べ始めました。
「あまりにも自分の存在に気付かない「本人」に業を煮やした」
「幼い頃からの嫌な記憶ばかり自分が持っているのに」と。
さすがに、面接した医師は困惑した様子でした。
後日、そのことを「本人」に確認したところ、「本人」は何も覚えていないと答えました。

それから、しばらく様子を見ていましたが、
うつ病の一時的回復により退院したり、担当医の移動があり、
結局それ以上医者とそのことについて話す機会はありませんでした。

月日はまた流れ、故あって再びうつ病は深刻になっていました。
ODは致死量に近い量の薬をアルコールで流しこみ(勿論一人暮らしなので誰も気付かない)、
時に衝動的に様々な手段で自殺を図るようになっていました。
「本人」が気が付くと異常な記憶の抜け落ちように混乱し(危険なので他の人格が眠らせていることがあった)、更に自殺衝動に拍車がかかりました。
遂には、計画的に本格的な自殺を図るようになりました。
見かねた他の交代人格は…それ以来滅多に「本人」を出すことがなくなりました。

一時は「本人」も、頭の中で聞こえる(他の人格の)声に気が付いたこともありましたが、
今は精神崩壊を起こして現実を見てはいないので、どう認知しているのかはわかりません。

そして、何年も経って、人格間である程度交流ができるようになったところで、
ようやく「解離性同一性障害」だと診断され、適切な治療を受けるようになりました。



ここまで来るのに、まだ早い方ですね。
精神科を訪れてからまだ6年ですから。
私は現在は表に出ることは殆どなく、「家の中」の管理・保全をしていますが、
かつては混沌の時期に労働を主として主人格を務めたこともありました。
その時、私自身、他の人格たちと交流が取れず、かなり苦労しました。
ただ、私の場合、初めから「この身体は私の身体ではない」と解っていただけに、
まだ「何か」が起こることの予測はできましたから、その分だけ楽だったに違いありません。

その点…「本人」は随分苦しんだでしょう。
AC(アダルトチルドレン)若しくはAS(アダルトサヴァイヴァー)も背負っているようです。
AC(AS)とは、「幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神・心理的虐待を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感があったり子供時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々」
です。(wikipediaより引用)
これは、DIDの発生経路にも似ていることですよね。
「本人」はずっと―うつ病発病まで「いい子」で育ってきました。
(たまに癇癪を起こすこともあったようですが)
もうそろそろ、苦しみから解放されてもいいと思います…。

もし、また時を刻み始めることができたら…
その時は「自分の」好きなように(勿論限度は設けられますが)生きて欲しいと思います。



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17:16 病気 | コメント(0)

DIDになりたがる人へ ~精神崩壊~

2009/04/20
精神崩壊。

それが、幾人もの人格を創り出しておきながらも、「彼女」の辿り着いた結果だった。

今はただ闇の中で、瞳には何も写さず横たわっているだけ。
たまに起きたとしても正常な判断は望めず、ただ水の中を沈んで行くように、
瞼を閉じてまた動かなくなる。
その様はただ風化を待つだけの人形のようにも見えた。


知る範囲で考えても、「彼女」には不運が付いて回った。
特に、異性との関係については不幸そのものだった。
一つの不幸がまた別の不幸を呼び、いつしか不幸に慣れ切っていた気さえする。
今振り返ってみて「それでも幸せだった」と言える関係が果たしていくつあるだろう?

「彼女」がずっと大切にしていた恋愛が破綻した後、
ただ、皆通り過ぎていくだけだった。
長く立ち止まることはなく、単なる寄り道程度のように見えた。
皆が最後は無言か、冷たい一言を放つだけで、背中を向けて彼女を置き去りにしていった。
言葉は悪いが、悪意はなくとも、一人の女の願いを「利用した」だけなのかもしれない。
再び穏やかな温かい日々を築きたいという小さな願いを…。

その終りのひとつひとつを、「彼女」は未だ何も写さない瞳の奥で再生し続けているのかもしれない…。


様々なトラブルから、「彼女」は一日を暗闇で過ごすようになった。
灯りは一切つけず、遮光カーテンを一日中閉めっぱなしにして、お風呂さえも暗闇で入った。
唯一「心を許せる人たち」がいるPCの光の中だけで「生きた自分」を認識していたようだった。


耐え難い記憶を他の人格に任せても、まともに生きていくには傷も深かったし、
「うつ病」の手当が遅かったのかもしれない。
もう、「彼女」は「自分自身」のしていることすら、わかっていなかった。
何も、わからなかった。
身体の痛みも、心の痛みも麻痺して感じられなくなっていた。
それでも「何か」を求めて人と付き合い、傷付く姿は自らを破壊していくようだった。

結局、狂気から現実を見ることができなくなった「彼女」は、いつまでも辛い「過去」に住んでいる。


昔のとある日、責められた「彼女」はぽつんと言った。
「私が何をしたっていうん…?ただ、自分の居場所が欲しかっただけやのに…。」

そう、誰かの心の中に自分の居場所が欲しかっただけだった。
子供の頃からの秘かな願いは、大人になってもずっと叶えられずにいた。


その日以来、まともな「彼女」の発言を聞いていない…。
心を完全に壊してしまった「彼女」が「治る」日が来るのはいつだろう…?

助けられるのであれば、助けたい。助けてもらいたい。
こんな想いが、「彼女」の想いが、「なりたがり」「なりすまし」の人にわかるだろうか?
「彼女」の精神は崩壊しても、私たちは外見的には「彼女」として生きなければならない辛さを。
その責任の重さを。

今、できることは「彼女」の居場所を準備して待つだけだ…。
落ち着いたら主治医にも話してみよう。
闇に薄っすら浮かぶ「彼女」の姿と今にも枯れてしまいそうなポトスが重なって、葉をそっと撫でた。
まだ、希望は捨てたくない。。。


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14:34 病気 | コメント(4)

交代し続ける毎日

2009/04/18
日替わりのように最近は交代をしている。
一日に何度も交代することも珍しくない。
それでも、なるべく一貫性を持たせようと必死だ。

主人は「何も気を遣うことはないからね」と言ってくれるが、どうも学生時代に身に付いた癖らしい。
学校内であろうと交代したことに気付かれないようにしろ、と言われていた。
昨日交わした会話を覚えてないのは小さなことのようだが、
「家」という狭い世界で生きる私にとっては、結構重要になる。

今は義母がこちらに来てくれていて、私たち夫婦を手伝ってくれている。
(というより、情けないことだが、私は丸っきり何もしていない…)
義母と食事毎に交わす会話は、心和む時であり(1人きりで主人を待つよりもずっと楽しい)、
それと同時に一貫した記憶が必要になる時だ。
だからこそ、出来れば連続して意識を持っておきたいところなのだけど、
最近なかなか身体がそれを許さない。

そういえば、春は昔から調子を崩すことが多い気がする。
ちょうど去年の今頃、本当に死線を彷徨ったし、先日の夜も突然フラッシュバックに襲われた。
どうやら急に暖かくなり始める春は「不安定」になる季節らしい。


ずっと前は、嫌なことは私が受け入れてさえいれば、「本人」は覚えてなくてもそれで良かった。
しかし、人数が増え始めてからは、支離滅裂な行動を取ることもしばしばで、
友人に指摘されることもあった。
勿論、「本人」に自覚症状は全くなかった。
家族は誰も気付かなかった。何故なら、家族の前でいるのは、決まって「本人」になっていたから。
家族にお土産を持って帰り、ニコニコと当時の彼氏とのことや大学のことを話す娘は、
さぞいい娘に見えたことだろう。
「本人」も予想していなかったのだ。後の地獄など。

数年後、PTSDのせいか(「本人」は覚えていないが)精神的に病み始めていた「本人」は、
「うつ」の状態に陥る。
長年交際していた彼も去り、一人頭を抱えて暮らしていた。
当時の日記は自責の文章と「死にたい」の文字ばかり。
何度も危険な行動があったため、「本人」は出ないようにさせられる。
そして、他の人格が入れ替わり支配する時間が増え…それが人間関係を複雑なものにしていった。

買った覚えのない(趣味の違う)服がある。
知らないアドレスから親しげなメールが送られてくる。
私も状況があまり掴めないまま時間は過ぎていった。

たまに出た「本人」は、更に混乱し荒れていった。
どう伝えていいかもわからない行き場のない想いで一杯になった彼女は、
ありとあらゆる手段で自殺を試みた。
彼女の時は、今もまだ学生のまま止まっている。

私は頭の中の姿こそ変わっていないが、時はずっと流れ続けている。
どちらがいいかなんて、誰にも決められないだろう。


幸いなことに、ODを何度となく行った(量も方法も滅茶苦茶だった)身体に、
今のところ障害は出ていない。(将来出る可能性は否めないが)
左腕のいたる所に残した傷も年々薄くなりつつある。
身体とともにこの病気が安定し、良い方向へ向かうことを願わずにはいられない。
日本の社会と医療に変化が訪れ、治療法が確立されることを願う。
少しでも、こんな想いをする人が減るように…。



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今日の穏やかさと昨夜の発作

2009/04/17
今日は事情があって、ほんの子どもの私が僭越ながら(←相応しくない?)書かせて頂きます。

私は耳が聞こえません。
ほぼ無音の、静寂の世界にいます。
小さな頃、高熱を出して聴覚を失ったらしいのです。
でも、読唇術を心得ているので、顔を見せて話してくれればだいたいわかります。
少々聞き取りにくいらしいですが、一応話すこともできます。
だから、手話は使いません。
皆からはあんまり家以外では話さないように言われています。
(きっと誤解を呼ぶからなんでしょうね)

好きなことは読書で、口で話すよりもタイピングの方が正直得意です。
年齢は…びっくりされるので伏せておきます。(漢字は読書のせいか得意みたいです)
旦那さんが私たちにPSPを買ってくれたので、ゲームもしますが、
PSPもキャラクターがちゃんと台詞を喋るようで、それと音楽を聞けないのが残念です。

だけど、今日久しぶりに一人で散歩をして来ました。
いつもは皆に(車の音とかに気付かないから)危ないよと注意されますが、
今日は本当にいいお天気で、私は車に気を付けようと押し切って出かけました。
外はすっかり春の陽気で、日差しが眩しく空は真っ青でした。
空気はまだ少し冷たくて澄んでいました。
おそらく久しぶりに身につけるであろう、膝上のスカートから覗く膝が少し冷えました。
妊婦さんだから、あまり良くないみたいですが。
その上、帰りはちょっと冷たいアイスクリーム(大好物)を齧りながら帰ってきたので、
それを目撃した人はさぞかし妙に思ったことでしょう。
当たり前かもしれませんが、外見は大人ですもんね(苦笑)


昨夜は、ちょっと頭の中でトラブルが起きていました。
どうやら、原因は記憶の混乱みたいでした。
誰の管理下にも置かれていない忌まわしい記憶(普段はちゃんとどこかに収まっているらしい)が
漏れ出したようで、身体が発作(震え・痙攣)を起こしてなかなか治まりませんでした。

何か男の人にひどいことを言われていて、次は別の男の人にひどいことをされていたような…??
(私は子どもなので、大人の事情というものは分かりません)
それからビリビリと身体が真っ二つに裂けていくような、崩れていくような映像が見えました。

私はほとんどその状況が分からなかったのですが、
どうやら「昔実際あった出来事の記憶が急に現実味を帯びて再生されていた」ようです。
これを「フラッシュバック」と呼ぶと、頭の中の誰か知らないお姉さん?が教えてくれました。
そして、お姉さん?は私をそれが見えない安全なところへ連れて行ってくれました。
「気にしなくていいからね」と言うと、そのまま去ってしまいました。
それから、私はそのまま忘れて眠ってしまいました。

でも、今朝、珍しく私が出てご飯を食べた後、
お昼寝をしていると頭の中で誰かが話しかけていました。
昨夜のお姉さん(と思しき人)でした。
「起きて…。あなたも一応おヨメさんだから。」
「うー…、うん…。」
「今、起きられるのはあなたくらいだから。」
「え?」
慌てて起きると、外の世界でした。台所からいい匂いがしています。
旦那さんが気付いて「よく寝ていたなぁ」と笑いながらゆっくり言いました。

私はようやく昨夜のことを思い出しました。

まだ私はこの頭の中の「仕組み」がよく分かっていません。
皆が旦那さん以外にはおおっぴらにしないのは、何となくわかっています。
そして、皆一人一人が背負っているものがあること、それが大きなものであることもわかります。
旦那さんと結婚する前は、もっと皆がバラバラだったのを覚えています。
昨夜・今日と見たお姉さんらしき人はいなかった気がするし…。
どちらにせよ、早く良くなることを願って、毎日過ごすだけです。

お姑さんの手前、普通(つまり適切)に発音するのはちょっと難しいです。
さ行、ら行、濁音が変な気がします。
あまり外での生活に向いてないけれど、頑張りたいです。



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少ない情報の中で流されないために

2009/04/16
確かに数年前に比べると「解離性同一性障害」についての情報は増えましたが、
まだまだアメリカに比べると25年ほど遅れているようです。
(アメリカでは解離の専門外来があるとか…)

昔、アメリカでも、誰もが「児童虐待なんかない!」という風潮があり、
それが一部から「実は虐待がありました」という告発が見られるようになり、
そこからあちこちで「虐待があった」という虚偽の告発も含む「親狩り」があった時代を抜け、
今静かに新たな治療が進められつつあるところ、だそうです。

日本は最近でこそ「幼児虐待」(暴行などの積極的虐待と育児放棄などの消極的虐待双方)の事件が
ニュースで採り上げられることが多いですが、
それと「解離性同一性障害」についての関連について、述べられているのを目にしたことがありません。
日本の文化ゆえの、「家庭内の恥」としての「虐待」を第三者に漏らしたくない、という風潮も手伝って、
まだ表立って出てくることが少ないという見方もあるようです。

これが研究や治療の遅れに繋がる、ということでしょうか…。

また実際、発症は早いものの、その症状に「本人」が気づくまでに10年以上かかるみたいですから、
尚のことでしょう。
しかも、「本人」が気付いた時には「記憶の欠落」という形であり、虐待を「覚えて」いませんから、
どうしても診断や治療が遅くなるようです。

病気は早期発見、早期治療が鉄則ですが、
「解離性同一性障害」については慎重に診断がなされるため(誤診も多い)、
診断が思春期以降になることが多い模様です。
ただ、治療が早ければ、「治る」のも早いと言われています。

間違えた(又は古い)情報も一緒に広がりつつあるみたいですね。
解離性障害=解離性同一障害ではありませんし。
解離性人格障害という病名はありません。
(ちなみに多重人格障害という病名は旧称です。)
昨日こちらで憤慨していた人物もいますが、「なりたがり」さんも意外に多いようです。
自己診断して思い込んでしまった人もいるかもしれないですね。

今はネットの情報に流され過ぎず、自分(たち)なりの「理想」を持つことが一番のようです。
信頼関係が上手く築けそうな主治医に出会えたことですしね。

私の場合では「共存」を望んでいます。
「統合」というのは無理なく行うもので、現段階では相応しいように思えませんから。

何故か、幼い頃何らかの「虐待」を受けた人は、その後も被害を受ける立場になることが多いように思います。
(親の立場になれば加害者にもなり得るようですが)

例えば性犯罪の被害とか…。(フラッシュバックを伴うようであればスルーしてください)
一度解離することを覚えた脳は、容易にそれを行うようになります。
悲しいかな、一度あることは二度あり、三度、四度と重なって行きます…。
そう、解離が継続的(断続的)になるのです。
それが成長とともに「人格」として育っていきます。
私たちの中にも、それをずっと抱えている人格が存在します。
彼女はずっと悪夢の中で生き続けています…。
勿論忘れている「本人」もそれらを思い出そうとすると、ひどく混乱して発作を起こします。

幾度も地獄の如く重なったことを、今は安全だから大丈夫、と私は到底言えません。
PTSDを含めて、ゆっくり時間をかけて治していくことも必要だと思います。

10人いれば、典型的なことは似ていることもあれど、
症状も人格の状態も10人それぞれでしょう。

私は今のこの状態を見守りながら、生まれてくる新しい命に愛を与えられるように
必死で頑張るだけです。
色々なサイトを覘いていて、一部「この病気では子供は諦めるのが普通」だと書かれていたのですが、
(上記にも記したように虐待の連鎖を避けるため、でしょうか)
心強い理解者もいることですし、挑戦してみたいと思います。

もうすぐ4ヶ月。今日超音波で見た赤ちゃんはずいぶん大きくなっていました。
確かに大変なことも多いですが、嬉しさは人数分です。
その皆で一人なのだから、きっと乗り越えていけると信じたいです。。。
甘いかもしれませんがね(苦笑)



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20:44 病気 | コメント(2)

苛立ち

2009/04/15
夜中のケータイのランプ。
サイレントにしてあるので、暗闇に緑の着信メールのランプだけ点灯している。

最初は無視をしていたのだけど、腹立たしくなってケータイを乱暴に開いた。

…出会い系サイト…。

言うまでもなく、私が登録したものでも、他の誰かが登録したものでもない。


数か月前、このブログに相談と思われる書き込み(付き合っている彼女が摂食障害とか)があって、
初めはPCのメールで返信したけれど、ドメインをブロックされていたらしく、
躊躇いつつも、指定のアドレス(普通の携帯アドレスだった)に自らのケータイで返信した。

出会い系サイトからのメールが届くようになったのは、その直後からだった。
まだアドレスを変えたばかりで、知る人しか知らないアドレスだった。

私の気持ちを利用して、私のアドレスを売ったことに、
少しの怒りと大きな失望を覚えた。

しかし、今でこそ言うが、真かどうかも疑わしいお礼のメールが届いて、
ごくたまにやりとりしていたので、敢えて疑わなかった。

その後、やりとりがなくなったのは、言うまでもないだろう。


ブロックしてもブロックしても送られてくる出会い系メール。

よく言われる言葉で「騙す方も悪いが、騙される方が悪い」というのがある。
こんな場合でも、私が悪いっていうのか?!
精神的に弱っている人間を騙すなんて腐れ外道のすることじゃないか!!



私の愚痴はまだまだ続く。(ここからは凄まじいので閲覧注意!)


最近「解離性同一性障害」で検索していたのだが、…「アヤシイ」ブログに引っかかる。

…何というか直感で、胡散臭い。(暴言失敬)

こんなことは信じたくないのだが、「多重人格」を「演じて」いるように思えるのだ。
(間違っていたら大変申し訳ないが…)
「なりたがり」というのか?よくわからないけれど、病気の説明がどうもオカシイ。
の、割には詳しい人格表(しかも名前がやたらめったら難しい)があったりする。

おまぃさん、そんな若くして病気と決めつけたり(少なくとも思春期に診断が下されるものではない)、
病院に行かずして自己診断するのはおよしなさいな。


人格間で恋愛沙汰が起きることは、殆ど(!)ないから安心なさい。


いろいろ生きてて苦しいのはわかるけど、ずっと演技続けるのもしんどいと思う。
あと、「解離性同一性障害」だからって現実問題から逃げることを許されるわけではない。
寧ろ、他の人格のしたことの責任を取らないといけない場合が多い。
統一性を持たせようと必死で隠して、生きてたよ…。皆で日記をつけるようにしたりしてね。
四苦八苦して、今の状態に辿り着いたんだ。
確かに、今の状態に持って来れたことは、いいことだけど、長い時間骨を折ったことでもあった。
だから、即席に「システム」を作り上げ・把握することなんて不可能。

どうして「演じ」たがるのか、真理はわからないけど、
カッコいいものでもなんでもない。
「生きる」ために取った手段で「解離性同一性障害」になっただけなのだ。
それを「ちょっと変わった自分」を演じるために使われるなんて、当事者として正直気分悪い。
勿論、何度も言ってきたように、ネット上では誰しも解離性同一性障害だけども。

最近、あまりにも心を踏みにじられることが多いので、
罵詈雑言言わせてもらった。
反対に言えば、こういうことが起きているのがショックだった。

尚、私自身も患者であり、医者でも臨床心理士でもないので、診断などは病院で行ってもらって下さい。
(私はもう6年病院通いです。)
もしかしたら、「解離性同一性障害」ではなく、他の病気かもしれませんので。
勿論、あくまで直感で感じたことなので、詳しい根拠を求められても困ります。悪しからず。


診断が下されて、現在も苦しんでいらっしゃる方々の回復をお祈り申し上げます。



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主人格の不在

2009/04/13
今日気が付いたら午後2時前で、慌てて起きた。
私が気付くまで、誰も「広場」にいなくて身体は空っぽだった。

階下に行くと義母がいて、心配そうに「大丈夫?」と聞いてくれた。

朝、確か他の人格が主人(に当たる人)を送り出して、「胃が痛いから休む」と言って横になって、
そのまま何らかの理由で「広場」から出て行ってしまったらしい。

最近、眠ると勝手に交代している、もしくは身体が空っぽになっていることが多い。
コントロールできていないだけに、ちょっと困ったことも起こる。
今日のように身体が長時間放置状態になって、身体に症状(例えば脱水症状など)が起こること。
起きた時、喉が異常にカラカラだった。

今は「主人格」が特定していないだけに、どうしようもないんだろうか…。
これまでこんなことはなかったのだが。

ここ一年間主人格を担ってきた人格は、最近精神的に不安定なようだ。
どうも「表」に出ても長く出ていられない。
今日も朝横になってから、「自室」に籠ったみたいだ。

どうやらうまく「機能」を果たしていないらしい。
記憶の引き継ぎもうまくいっていないし、何かと安定していないことが多い。

残念ながら、情報量が増えた現在でも書物でもネットでも信憑性の高い情報は少なく、
人格たちに混乱を招くことが多い。
(今でもオカルト的降霊説や取り憑き説が一部ネットで公開されているのだ)
ましてや、対処法などマニュアルがある訳もなく、自分たちで手探りで探すしかないのだ。

もどかしい想いは続く…。
だけど、「生きる」ために私たちは存在しているのだから、
足掻いてでも生き続けよう。



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「自称多重人格」

2009/04/12
私は他人が他人に対して使う「自称」という言葉に過敏だ。
何だか、批判的に聞こえるから。
そして、その言葉を使った人自身のことは含まれてなくて、排他的な感じがする。

例えば「自称多重人格」とか。

自分に対して使う分にはいいけれど、
誰かが他人に対して使うと、どうしても耳につくし、目に入る。
そんなの、ネット上では皆「自称」だと思うから、他者に対して使うのは無責任だと思ってしまう。
きっと、私たち自身も「自称」の人だと思われるのが嫌なんだろう。
そう思われても仕方がないという覚悟は持っているけれど…。

確かに、病院の診察なしの自己判断で「自分は絶対に多重人格だ」というのは、危うい気がする。

そもそも、交代人格間でも互いの存在に気付かない期間は長いし、
「本人」(所謂「基本人格」)が気づくのはもっと遅い気がする。
私たちの場合、十数年間、本人は最初の交代人格に気付かなかった。
更に正確な診断までに6年ほどかかると言われているのだから、
早い段階で「絶対」と言えるのはごく少数だろう。
尤も、「絶対」だなんて言い切りたくない辛い現実の産物なのだけども。。。


さて、愚痴(?)はこのくらいにしておいて、
日ごと日ごとに赤ちゃんは成長しているよう。
はっきりと目には見えなくても、ほんの少しお腹が出た気がする。

身体は皆で共有しているから、男の人格の「京介」は複雑そうにしているけど、
皆お腹をさすって大切そうにしているのが微笑ましい。
「京介」的には「伯父さん」の心境なのだそうだ。

子供が生まれたら、のんびりとはしていられなくなる。
母親にならなければならないし、自然となってゆくのだろう。
それでも、私の勝手な推測だが、全員がこの子の「母親」になることはなくて、
一部は不変の部分を残すと思う。
全員の「役割」が変わってしまうことはないだろうから。
私たちに大きな変化が起こることは確かで、全員でケアしたいとも思うけれども。

どちらかというと、私も客観的に捉えている。
私の役割は、基本、この身体の心身の安全確保である。
まずは母親がしっかりしていないと、というのもある。

私たちを囲む現状は決して甘いものではないけれども、
それでも皆で決めた「子供を授かる」ということ。

病気で色々悩むこともあるけれども、きちんと向き合って子供と成長していきたい、
そう思う私たちなのです。




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新しい人格と「システム」の把握

2009/04/11
先日、未確認の人格が現れた様子があったので、
「私」はそれを検(あらた)めに意識の世界でいた。

現在知り得る範囲の誰に聞いても心当たりがなく、
夫(である人)の話によると「何も喋らず、ずっと怒っていた」という。
「何か」起こる前に把握しておいたほうがいいだろう、そう思った。

今の大まかな「システム」がわかって以降、
環境の変化は大きかったし、それぞれの人格に変化が起こっている。
少なくとも、「役割」やそれぞれの「年齢」、「外」に「出る」比率が変わっている。
以前は自己破壊行為を行った人格も、今や理解者がいることで
大人しくなって怒りを露わにすることもなくなった。

普通、解離性同一性障害の場合、「皆」で「1人分」の感情を全て持つので、
新しく人格が創られるとしたら現在「欠如」している感情を担当する人格だろう。

状況と証言から「怒り」を担当する人格が創られた可能性が高い。


「記憶の管理人」(「記録人格」=「トレイス」と呼ばれる)がいた「二階」は変わらずガランとしていた。
「一階」…つまり通常人格たちの「部屋」や「広場」が存在するところには変化はない。
だけど、「意識」を持てるのは「一階」の「広場中央」か、「二階」にいられる特別な人格のみだ。
昔、「ナオ」が「二階からは下(一階)が覗けるようになっていて、
意識を持たなければいけないときは自分の姿を一階の広場中央に投影させている」と言っていた。
けれど、今や「ナオ」はいないので、全ての人格の行動を知っている人はいない…。

ふと、薄暗い一階の廊下をウロウロしながら思った。
この「家」に「一階の下」は存在しないのだろうか、と。
所謂「意識の深部」である。
気づかなくても不思議ではない。

少し歩き回ると、ドアがあった。誰かの「部屋」のドアではない。
通路だと直感した。
ドアを開けてその先の様子を窺ったが、暗くて見えないし何も聞こえてこない。
正に未知の領域だった。

しかし、一ヶ所光の射す場所があって、そこからは「身体の外」の様子が「見え」た。
つまり、ここからも「観察」若しくは「意識を持つ」ことが可能なようだった。

それ以上の探索はできなかったが、思った以上に「全体のシステム」は複雑だった。
今までも存在したのかもしれないし、最近創られたのかもしれないが、そこまではわからなかった。

あまりにも、私たちは自分たちについて無知だったのかもしれない。
というのも、「本人」が脅かされる環境ではなくなったから、と安心していた節もあるのだろう。

色々調べてみると、解離性同一性障害になりやすい原因として一番に挙げられるのは、
「幼少期の親からの虐待経路」(性的、身体的どちらも)だが、
次に多いのは、重要な他者(主に母親)が精神的な原因によりうまく疎通ができず愛着対象と見れなかったこと…
つまり、物理的に母親がそばにおらず、子供の情緒的支えになれなかったことによる「ネグレクト経路」が多いとコリン・ロスの四経路論では書かれている。

私たちの場合、物心がついた時にはもう母は仕事に行っていた。
あまり母といた記憶がないようだ。その証拠に子供の頃に見た夢に、母は出てきた記憶がない、と言う。
近いのは「ネグレクト経路」なのかもしれない。


今現在通院している病院では、担当医が変わって「解離性同一性障害」を前提として診てもらっている。
治療の方針としては…「本人」が過去と、それと事実に向き合うこと、らしいけれど、
それには家族の協力が絶対だろう。
だけど、ネグレクト経路だとしたら、その家族にも向き合う余力がないということになる。
結局、両親からの愛が欲しいのだけど、現実問題として、ないところから出すことは出来ない…。
何せ、両親も本当の「愛」を知らないだろうから…。

しかし、私たちは自分の子供に愛を与えることはできる。
だから、悲しみの連鎖はここで断ち切られる。

未来は明るい、良くなると信じて…。



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解離性同一性障害の実態…

2009/04/09
久しぶりに解離性同一性障害についてネットで検索してみると、
「本人」が病気に気づいた数年前に比べて、驚くぐらい増えていました。

数年前はコントロールもできず、怯えて生活していました。
なのに、新しい情報はそれほどなく、ガッカリしていた覚えがあります。

思わず、お義母さんにお料理を任せたまま(いいのかなと思いつつ)、ずっと読み耽ってしまいました。

その中でも一番頭に残ったのは、「ネット上では誰しも解離性同一性障害」という言葉でした。
確かにこの世界ではどうとでも言えます。
mixiでもそれ関連のコミュニティや参加者数は驚くほど多いです。

私たちも、私自身も「一体本当はどうなっているのか」というのを何度も問うたし、
疑ったこともあります。

けれども、私がこの身体に感じる違和感という事実は変えられなかったし、人格は増える一方でした。

現在では私たちは日常生活にそれほど支障はないし、比較的穏やかに過ごせています。
だけど、先日のように「暴走」を始めたりすると、どうすることもできません。

過去…と言っても私が持ち合わせている記憶は忌まわしきものそのもので、
私自身望んでこうなったわけではないから、一時は自分の存在を憎みました。
今も、私はそんな記憶の中の世界でしか生きていない気がします。
ずっと縛られたままです。
でも、私や所謂交代人格がいなかったら、この身体は生きていられなかった…
その事実は私たちをやるせない想いで一杯にします。

当初、私はこのブログの直接的なタイトルや名前の署名に抵抗がありました。
今は名前の署名は皆していません。
(署名をしても文章だけでは真実は疑わしいところがあるかもしれません。)
それでも、開設当時、管理を担っていた人格は、これだけ過激?なタイトルにしないと、
人には閲覧してもらえず、事実を知ってもらうこともできないと考えたのでしょう。
ある程度のリスク、奇異と疑惑の目を向けられることも分かって…。

やはり自分から告白することは、勇気がいることです。
皆が皆、私たちが書くこと全てを信じてもらえるとは思いません。
だけど、きっとこうして「複数」で過ごす日々を綴っていくんだと思います。
これも記憶・想いのバトンですからね…。


どうかこれからも途切れることなく続けられますように…。



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友人からのお祝い

2009/04/08
今日、幼少時代から知る地元の友達からお祝いが届いた。

そう言えば、今から何年か前、彼女の結婚披露宴に私も参加させてもらった。

私も最近やっと結婚と妊娠の報告をやっとできたのだった。
私は式も挙げていないし、携帯はデータごと失くしてそのまま聞くこともせず
北の地へ移って来た。

ウェディングドレスとタキシード姿の写真だけを残して…。

私が決めたことだから後悔はない。

だけど、こうしてお祝いをもらってしまうと、ついつい報告が遅れてしまったから嬉しい反面、
申し訳なくも感じる。
しかも、また地元に帰って来た時は是非連絡を下さい、と添えられていて…
私は複雑な気持ちになった。

遠く離れた南にある地元…。
地元には古くからの友達もたくさんいて、勿論実家や親戚の家がある。
友達にはずっとずっと会いたいと思っているのだけど、
…正直先日の件以来、実家絡みは必要以外は遠慮させて頂きたい。
個人的には会いたい人もいるけれども、家が絡むと話が如何せんややこしくなる。

とにかく、友達にはお礼の手紙を書こう。
友達は先輩ママだから、育児の話も聞きたい。一度電話で聞いた男の子の声は可愛かった。
きっと、友達に似てくりくりした大きな瞳をしているのだろう。
最近小さな子が可愛く思えて仕方ない。
私もお母さんになる準備が出来てきているということなんだろう。
本当は会って顔を合わせて話がしたいのが本音だけど。

もう、お互い大人なんだな、とふと思う。
けれど、縁は絶えないもので…。

長い絶望の中、私は自分が大切なものを持っていることすら忘れてしまっていた。
すごく大切にしているという気持ちさえも…。

だけど、これからは見失わないようにしていきたい。
どんな時でも独りじゃないって忘れないようにしたい。

確かにこの病気の基礎になった人間不信は拭い去れないけれど…。
遠回りしながらでも良くなっていくと思いたい。
諦めないこと、それが何より大切なのかもしれない。



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姉妹というもの

2009/04/05
姉は昔から私の少し前を歩いていた。
その背中はしっかりしていて、三つ離れた私には少し大きく見えた。

それぞれ大人になった今でもそれは変わらず…。

すれ違うことが増えた最近でも、姉は姉。
心配するからすれ違うのか。

小さな頃は姉は母のように私を厳しく躾けた。

だから、昔はよく言い合いをしたけれど、姉が大学生になってたまに実家に帰ってくるとよく話をした。
枕を並べて。色んなことを。

姉が社会人になると、姉はたった三つしか変わらない私にお年玉をくれた。
やっぱりいくつになっても姉は姉だった。
頭が上がらない。

姉は社会人になって数年経った頃、心を壊してしまった。
それ以来、姉の話を聞くのは私の役割になった。

しばらく姉とは連絡を取っていない。
けれど、今日改めて思った。
たった二人の姉妹。いつまでも大切にしたい、と。

今は姉も苦しい。
私以上に苦しんでいるかもしれない。
だから、もし余裕ができれば姉と話をしよう。
話を聞こう。

だって、いつまでも私のただ一人の姉だから…。

いつかまた、少女時代のように楽しい話をしよう。。。
それまで、どうか少しでも元気で…。



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決意

2009/04/05
気がつくと、崩壊は収まっていた。
何が起こったのかはわからない。
ただ、夕闇が迫る部屋で布団に横たわっていた…。


メールのランプがチカチカ光っていた。
主人からのメールだった。

どうやらそれで暴走は収まったらしい。

けれど、拭い去ることのできない絶望感らしいものが残っていて。
私も彼女も、他の皆もそれを感じていた。
それは時間が経つにつれてハッキリと形を成した。

私たちは冷静に憎んでいた。
もう思慕や擁護する言葉はなく、冷たい言葉しか出てこなかった。

私たちは、家に失望したのだった。


一体、何度、正式に挨拶に赴いてから出産させてほしいと頭を下げただろう。
手紙をしたためたこともあったし、電話でも何度も懇願した。

だけど、一度握られたかのように見えた手は振りほどかれ、
代わりに平手打ちを食らった。

被害妄想も入っていることも承知だが、そう感じることは過去に蓄積されたものからして
誤魔化しようのない事実だった。


メールによると、挨拶、親戚との食事会という手続きを踏んで出産は許されたようだった。

けれど、私はもう実家で産もうとは思わなかった。
夢から覚めたように、気持ちが冷めていた。

「あそこ(実家)に埋まっているのは、失望だけ。」

無感情な言葉が零れ落ちた。


一年弱かけて回復してきた病気が、一気にぶり返したような感じがした。
直接会っていないほんの僅かな期間でぶり返すなら、
帰っている間に悪化するのも時間の問題だ。
お腹の子の母親なのだから、自分とこの子を守らなければならない。

挨拶や食事会は行うけれども、それとは別に出産を考えることにした。
大人として責任を持って行動は取ろう。
だけど、もう何も求めないでおこう。。。

もうこれ以上、彼女に傷ついて欲しくない……。
本当に両親の保護を必要としていたのは、紛れもなく彼女…「本人」なのだから…。



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絶望の淵

2009/04/04
真っ暗で先の道は見えない。
明るいはずのマタニティライフは先が見えなくなるばかり…。


暴走。
彼女は眼を大きく見開いたまま涙を流し、怨嗟の炎で全てを消さんとしていた。
もう何も要らない、そう言わんばかりに…。

私は、遂にこの日が来たかと思っていた。
「見棄てられた」と彼女が再び感じた時、いつか起こると思っていた。

誰も抗わなかった。
彼女の苦しみを誰もが知っていたから。

私が知っている中で、彼女と家の間には辛さや苦しみが大半を占めていた。
それでも普通に育ってきたつもりだった。
そう、病気になるまでは。

何が間違っていたのだろう。
一体、何が。

ただ、助けてほしかった。
ただ、愛されたかった。

もう私にも解らない。
そろそろ、飲み込まれるだろう。
私たちは、人格たちは消され、
この身体はもう「生きる」航路から外れてしまう…。

あぁ、お腹の子はどうなるのだろう…。


それでも祈らずにはいられない。
どうか、この先何が起こっても…少しでも幸がありますように。。。




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12:14 戯言 | コメント(0)
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