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目が覚めて

2014/07/19
久しぶりの悪夢を見ていた。
だけど、夢から覚めても、昔の悪夢は悪夢のままで…。


もう何年も前のことだ。
19の時だから、かれこれ10年以上経つ。
私は自分で乗り越えられたと思っていた。
だけど、何一つ乗り越えていなかった。

もちろん、当時の事件のことはある程度乗り越えている。
だけど、その後の自分の有り様、それは受け入れ難いものがあるのだ。

私は精神的にパランスを崩し、崩壊への一途をたどっていた。
もう何者の声も届かなかった。
唯一届いたかもしれない祖母も私が崩壊中の間に他界した。
当時付き合っていた彼と別れると、崩壊の速度は加速した。

自分に価値があるなんて、まったく思えなかった。
何がどうなってもよかった。
両親はただ私の扱いに困っているだけだったし、
周囲の人たちは、私から離れて行った。
純粋に私といてくれた人は、ごく一握りだった。

純粋じゃない人、それはやはり私を「女」として見ていた人だったんだと思う。
反対に女じゃないと誰もいてくれないんだと思っていたのかもしれない。
だからなんだろう。
私は自らの傷をどんどん深めるようなことばかり繰り返した。

思えば、私はあの事件のことで当時以外は泣いたことがなかった。
誰に言う時でも、冷静だった。
今になって涙が流れ、また発狂しそうになる。
また、今更なのに。

私が女である限り、生きている限り、きっと悪夢は続く。
心なしか少しずつ色褪せながら。

だけど、今日も私は生きる。
受け入れられないものを抱えて。
あのころにはない、守るべきものを抱えて。
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ふと振り返って

2013/11/09
昔、病気が酷かったころ、私が欲しかったのは愛でした。
だけど、それは街中に溢れているような男女間のみ成立するありふれたものではなく、
人が産まれてすぐ(通常なら)受け取る愛でした。
そう、母親からの愛です。

でも、それに気付くまでとっても時間がかかりました。
もう根本の糸が絡まって、何が何なのかわからなかったんです。
だから、安っぽい愛に時間を捧げたこともありました。
勿論、そこから私が求める愛は得られるはずもなく。
荒れる私を見て、友人たちも距離を置いていきました。

孤独でした。
そして、欲深かった。

ただ一つの愛欲しさでしたが、それを色んなもので誤魔化そうとしました。
だから、傍から見るととても強欲でした。
たくさんの人を振り回し、(お互いに)傷付けました。

何故でしょうね。
ただ求めるだけでは、与えられませんでした。
でも、求めるのをやめて立ち止まった時、欲しかった愛は目の前にあったのです。

ええ、残念ながら母親からの愛ではなかったのですが(笑)
そう、現在の夫です。
夫は母親から与えられる愛情を知っている人でした。
しかも、男性には珍しく、それをちゃんと認識している人でした。
だからですかね、私が一番欲する(必要とする)愛を与えてくれました。

愛を与えられないと、人は成長できません。
私は、どうやら子供のまま止まっていたみたいです。
(まあ、DIDからも察しは付きますが…)
きっと、私の母もそういう意味ではまだ子供なんでしょうね。

何もしなくても、ただいるだけでいいんだよ。
そう言ってもらえると、楽ですね。
昔書いた気もしますが、「条件付きの愛」は疲れますから。

赤ちゃんは何もしなくても可愛い。
泣いていても、寝ていても、無条件で可愛い。
皆、もとは赤ちゃんですからね。

そうそう、だから。
どんなにひどくても、最低でもいい。
ただいるだけでいいんだよ。

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07:33 過去 | コメント(0)

消えない・消せない言葉

2012/03/19
言われて傷ついた言葉がある。
何年経とうと、消せない、忘れられない言葉がある。

「どうせ初めてじゃないんだろう!」
「自分でもびっくりするほど好きじゃなくなったんだ。」

今日みたいな眠れない夜に必ず聞こえる言葉。
その時言われた状況・相手の表情。
そのままを思い出す。
まるで、呪いの言葉みたいに、私を過去へ縛り付ける。

どうしても逃れられないみたいだ。
いくら努力しても逃れられない。
否、努力すればするほど逃れられないようになってしまったのかな。

病気になってから、私は努力が嫌になった。
どうせ報われないのだから、と。
だけど、人生は報われないことのほうが案外と多いもので…、
そんな時に私は上の言葉を思い出すのかもしれない。

頑張っても無駄じゃない。
きっとそれは本当だし、嘘でもある。
頑張り方が間違えていると、無駄になってしまうことを若い時に知った。
特に「運」の要素が絡んでいると、頑張りが余計虚しく感じられてしまうことすらあるのだから。

眠れないこんな夜はどうやり過ごそう。
前のように眠剤に頼ることももう出来ない。


そう、昨夜なぜか昔よく見ていたおぞましい夢を思い出した。
保育所か幼稚園で私はお手洗いへ行こうとする。
だけど、すべてのお手洗いは汚物でひどく汚れていて、私は用を足せないのだ。
なぜかトイレは広くて、行けども行けども汚物まみれ。
そんな夢を毎晩のように見ていた。
確かお昼寝でも見ていた。

どうして今さらそんなことを思い出したのかわからない。
けれど、私はその頃お手洗いが嫌いだったのをよく覚えている。
自宅や学校に関わらず、ひどく嫌悪感があった。
だからなんだろう。
私は幼少期、おむつが外れた後もちろん自分でトイレへ行くことはできたが、
トイレへ行くのが嫌で嫌で限界まで我慢をして、おもらしをしたことがよくあった。
おもらしも嫌だったけれど、トイレへ行くのがそれ以上に嫌だった。
今でもお手洗いが汚れているのだけは潔癖なまでに許せないのは、それが関係しているのかもしれない。

夫に話してみると
「おむつはずれの時期のトラブルとおねしょとかって、虐待とかが関係してるらしいよ。」
という答えだった。

そうなんだろうな、という答えだった。
私自身そういうことがきっと関係していると、頭のどこかで予想していたから。


いつからだろう。
私は頑張り方の間違いに気付き、努力すること全般に関しても諦めを覚えてしまった。
それが楽な生き方だし、諦めない方が苦しいことも多いだろう。
だけど、忘れる努力もやめてしまっていいのかな?
忘れた方がいいことって多いのに。
実際、忘れてしまいたいことであるにも関わらず。

今は一応「諦めない生き方」を選択している。
でも、昔の習性がひょこっと顔を出し、「諦めろ」と言うのだ。
昔の呪いの言葉に縛られていろと。

呪縛を解くのは私。
きっと他の誰でもない。
いつか、私の心の奥に積もった呪縛の言葉さえも、解ける日がくるのだろうか。

やはり私は諦めない選択で行きたいと思う。





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思い出した

2011/07/05
インターネットをしていたら記憶がフラッシュバックした。

3年前の4月1日。
私が一度死んだ日。
もうすっかり記憶から欠落していたあの日。

何というわけでもない。
ただ、当時所属したばかりの劇団員とうまくいかなくて、
皆やらないからと私がやっても全然それは的外れなことで、
ああ、こんなことですら私を拒むんだと思った。
そう思って、出勤したばかりの(今の)夫に電話をした。
「もうさ、死ぬから~。ごめんねぇ~。」って。

電話を切ると、夫には申し訳ないけれどどうしようもなかった。
止められなかった。
私には何一つ残っていなくて、一人残された家でのろのろと用意をした。
確か、ブログの更新もしたっけ。
「これから死ぬけど、本当に死ぬのかなあ」などと矛盾したことを考えていた。
それから、そう、玄関入ってすぐ、夫の部屋の戸の上にまた小さな戸があって、
そこを開けて柱にインターネットのケーブルをかけた。
脚立に乗って首をかけ、足を踏み出した。
当時の夫の部屋で、薄暗い部屋だった。私は玄関側を向いてぶら下がっていたと思う。
朝9時か10時の出来事だった。

そこで記憶は途切れる。
痛いとか、苦しいとか、そんなことも覚えていない。


目覚めても、何一つ覚えていなかった。
京都に引っ越して来てからのことはほとんど何も覚えていなかった。
劇団のことも何一つ。
動機も何も覚えていない。
思い出さなくていいと夫は言った。
思い出さないように携帯もなかった。
記憶を辿る術は何もなかった。
そして、追われるように転勤が決まって引っ越しした。

これまで自殺未遂もまるで他人事のようだった。
あと少しでも発見が遅れていたら、間違いなく死んでいただろう。
半年ほど首筋に残っていたケーブルの痕がそれを物語っていた。
なのに、そんなこともまったく実感などなかった。
忘れていることが必要だとでも言うように、私はすっかり忘れていたのだった。


3年経って、やっと思いだした。
やっと自分のことだと思った。
今まで軽々しく自分の自殺未遂のことを語っていたのかもしれない。
だけど、あの時の例えようもない絶望を思い出してしまった今は、もう語る気にもなれなかった。

おかえりなさい、あの時の私。
あの時の私がようやく帰って来た。
いや、DID患者として正しく表現するなら、あの時死んでしまったあの子を
今になって「私」の中に取り込んだとでもいうべきなのか。

何故今なのかはわからない。
どうして今までこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろう。
いや、大事なのだろうか。
きっと忘れることの方が大事だったのかもしれない。

生きたくても死ななくてはいけないと思ったあの気持ちを…。
自分で自分を生かしてはおけなかった。
最後まで自分を許せなかった。
それだけで心が一杯で、だけど空っぽだった。
どうしたらあの気持ちを表現できるだろう。

「最期くらい自分のことだけ考えてもいいよね」
そう思ったのも覚えている。

まだ整理ができないけれど、あの時考えたことの訳を、今思い出したことの意味を、
私たちは考えて行こうと思う。




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記憶の断片と今ある責任

2011/06/10
昔から、私の夢に母が出て来たことはない。
夢ではいつも「お母さんは今日もお出かけしていない」ということになっていた。


お久しぶりです(?)
ようやく恐慌状態から脱出しつつあります。
今日は記憶の断片から少しお話をしようと思います。

最近はショッキングなことがたくさんあって、それをキッカケに記憶の断片がたくさん出てきました。

母の後ろ姿を追って、泣く姿。
また放って行かれたと、喚く姿。
父が遠く思えたある夜。

ハッキリとは思い出せませんが、どれも「私」を「斜め上」から見ている映像です。
冷静に解析すれば、既に解離していたのかもしれません。
それとも、ショックな状況から心を守るために心理的な距離を置いているのかもしれませんが。

とにかく、私が物心付いた時には、母は仕事でいませんでした。
祖母、祖父、姉とお留守番。
日曜日、母に近寄って行ってもよく怒られました。

きっと母も仕事と家事で忙しかったんだと今になって思います…。
父は私が幼い頃は仕事が忙しくて、平日は寝てから帰っていましたし、
休みの日も呼び出しがしょっちゅうでした。
そんな中だと、そりゃあ、母もイライラするだろうなぁ…。
だからなのか、日曜日は一人、車に乗ってどこかへ行っていました。

だからって、子供を置いていっていいわけではありません。
「仕方がなかった」と割り切っていいものではありません。
子供側としては「仕方なかったのだろうなぁ」と思っても、親としてはそう思ってはいけない。
それが親としての「責任」だと私は思うのです。

最近映画を見ました。
「青い鳥」という阿部寛さんが主演の映画です。
それは「いじめ」を扱ったものでしたが、静かながらとてもいい映画だったと思います。
主人公はいじめで自殺未遂まで図り転校していったクラスメートのことをずっと気にしながら生活していました。
自分もいじめに加担してしまったから。
しかし、周りは忘れようとし、彼自身も平穏を装っています。
そこへ現れた先生。
それが阿部寛さん演じる村内先生ですが、村内先生が教えたこと…それが大変重みのあることでした。
初めは落ち付きつつあった教室に波風を立てますが、
後に生徒たちは心から「反省」と「責任」ということを学んで行くのです。

「責任」。
それは自分が悪いことをしたのなら、その気持ちを忘れず持ち続けるということ。
悪いことをしてしまった相手を忘れてはならないこと。
例え、相手が忘れてしまったとしても、自分は忘れてはならないこと。
自分が悪いことをしたという事実から逃げないこと。
一度償ったからと言って終わりではない。それは、罰でもない。「責任」だ。

これって、とても大事だと思いました。
昔は子供でした。だから、忘れなくてもいいし、忘れてもいい。
けれど、私の親はそうじゃない。
しかし、私は今は親でもあります。
そう、だから「責任」を持つのです。

決して誰一人として、完璧な教育など施せないでしょう。
だけど、それを「仕方ない」と割り切ることなく、諦めることなく、
「ごめんね」と思いながら、子供(娘)をその分思いやる。
私は、逃げません。
逃げたくないのです。
何故なら、私はこの子の母親だからです。

間違いが悪いわけじゃありません。
間違いを正さず、悪いと思わなくなるのが、良くないだけです。


私は良くない母親かもしれません。
しかし、歪な愛情であっても、私は娘を愛しています。。。。。。





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そこに居場所はなかった

2011/04/14
暖かな春のお昼過ぎ、娘とお昼寝をしていて悪夢に襲われた。

身体が重くて動かず、身体を焼かれる夢。

すぐ起きて周りを確認すると、娘はすやすや眠っていた。
夢だと言うことを確認してほっとしたが、気持ちはそぞろで落ち付かない。

昔…、病気がひどかった時はよくこんな夢を見たっけ…。

お陰さまで最近はどうにかこうにかやっていけている。
薬は3種類。ひどい時期だけ服用。
そう、今はあのひどかった時期に戻らなければいい。
過去に引き戻そうとする力を振り切る。

最近読んだ本の中に「慢性うつ病は必ず治る」(幻冬舎新書、緒方俊雄著)という本があった。
慢性うつ病とは3年以上症状が長引く、または再発を3回以上繰り返すうつ病のことを指す。

どんな人が慢性うつ病に陥りやすいか、
それを母親との関係からわかりやすく説明しており、
そのうまくいかなかった母親との信頼関係をカウンセラーとの間で再度構築すること、
現実の問題を直視し、自分の感情を受け入れることによって治る、と書かれていた。

母親との関係は、私の場合、完全なる「依存型」だった。
他者に頼ることで自分の存在意義を見出し、それに頼って生きる。
「依存型」の人は慢性うつ病になりやすいという。
妙に納得した。

「依存型」の人は母親が十分な愛情を与えてくれなかったから、どうにかして愛情を得ようと努力する。
その方法は大体が「いい子になる」ことで、優等生タイプになる。
それで「本当はダメな自分」かもしれないが120%努力して「エライ自分」になるのだ。
「エライ自分」を依存対象に認めてもらう。
けれど、120%がいつまでも続くわけではない。
いつしか、常に120%頑張ることに疲れて、70%の力しか出なくなる。
けれど、120%じゃない自分じゃダメ。そう、自分を追い詰める。
50%の力しか出なくなった。もう、ダメだ。やっぱり本当は自分はダメなんだ…。
こういう経過を辿るらしい。

何でも母親との関係だと言われて、ここ数年げんなりすることがある。
私の母は十分な愛情を与えてくれなかった。それはわかった。
学生の時は随分両親を憎んだこともあった。
だけど、それだけでは前へ進めない。
憎むだけでは解決にはならない。今の私は子であり、母でもあるから。
この連鎖を私で終わりにしたい。
どうやって終わりにできるだろう。
終わりに出来る時、私は本当の意味で治ったと言えるのだろう。
こうやってずっと考え続けている。


昔は居場所さがしをした。
今は居場所の向上をしている。

昔を探しても何も出てこない。
未来への材料は今現在の私が全て持っているはずだ。

さあ、また新しいスタートを切ろう。




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時効かな、ということで

2010/09/25
昔の状況を綴ることにした。

私(たち)が結婚したのは今から2年ほど前。
その一年前(つまり3年前)に私は夫に会った。
きっかけは省略する。
その時の主人格(基本人格ではない)が対面している。

それから内部の様々な人格と夫との交流が始まった。
月に1度ほどは会っていたのではないだろうか。(当時は住まいが離れていた)
PCや電話で連絡を取り合っていた。
病状はひどくなる一方だった。
自殺未遂は数えきれなかった。

そんな中、私たちは失意の中、大学を去る。
行き先は今の夫との住まい。
夫の実家は自転車で行ける距離にあった。

私はバイトを夫の勧めで始め、演劇を始めた。
その当時よくあることだったが、理由もなく何もかもが苦しくなった。
(もちろん慣れないことばかりでうまくいかなかったのもある。)
私はその二人の住まいで首を吊った。

目が覚めると大きな病院で寝ていた。
(後の話では、夫が夫のお母さんに連絡をして、訪ねて来てくれたらしい。
そこで死の一歩手前で発見されたのだ。
意識はまったくなかったが、一度目を開けて夫の姿を見ると喜んだという。)

父と姉が迎えに来てくれていて、私は実家に連れて帰られた。
すると、すぐ地元の病院に入院させられた。
1カ月経って良くなっても「家でも誰も看られる人がいないから」と
病院でいるように言われた。

夫は遠いけれども、仕事の隙間を縫ってお見舞いに来てくれていた。
普段は(病院の公衆)電話で話をした。
そこで私たちは言った。
「このままだと一生出られない…。きっと出す気もないんだ。」
夫は電話の向こうで必死に解決策を練ってくれていたに違いない。

ある日夫は驚くべき解決策を提示した。
それは「結婚し、保護責任が夫になったところで脱走する」という策だった。
戻れない。
でも、私たちはその選択肢しかなかった。
そう、生きるために。

それから(自殺未遂前に予めある人格の承認で用意していた)婚姻届を提出し、
逃亡の作戦を練った。

逃亡の前日。
夫から確認の電話があった。もう本当に引き返せない。
でも、決めてしまった私たちに何も恐れはなかった。

予定通り、私は外回りの院外散歩に出た。
病院で色々お礼を言っていると案外時間がかかった。
少し時間的には遅いくらいだ。
散歩コースから少し外れたところに大きなバス停がある。
そこで夫は待っているはずだ。
私は持っていた中で一番マトモな衣装で駆け出した。

バス停で夫はいた。
珍しく遅れそうだった私を心配そうに待っていた。
そこから駅に向かい…
高速バスに乗って元あった私たち二人のすまいに帰った。。。。


それからはバタバタした。
何せ転勤が決まっていた。

引っ越し準備に追われ、
結婚の写真撮影をし、
(婚家での)結婚の挨拶に追われ、
実家とは連絡を取らないまま、
(持っていた携帯は破棄されていた。新しい携帯に替えたが、連絡しなかった)
北へ飛んだ。

そこからは気候から暮らしから、慣れないことばかりで、
あっという間に時間が過ぎた。

たくさん夫や夫のお母さんにも迷惑をかけた。
でも、温かく見守ってくれたのだと思う。
あの頃の私たちは何一つ満足にできていなかったし、
そんな自分にも嫌気が差していた。
でも、誰も責めたりなどしなかった。

でも、そんな私たちのところに天使が来てくれた。
私たちは一気に幸せ呆けになった。

あんなにたくさん薬を飲んでいたし、
しかもその薬も正しく飲んでいなかった。
奇跡は起こるんだと、心底思った。

今は何と充実した毎日だろう。
昔を思い出しても、恥ずかしい気持ちになることすらある。


「許される」。
それが私たちを救ってくれたことだった。

だから、言いたい。
皆が既に許されているんだと。

それを少しでも覚えておいてもらえると、
私たちは幸せだろう。。。。




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